JINSEI STORIES
滞仏日記「外国で最初に仲良くなるのはアジア人」 Posted on 2019/06/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、行きつけの中華レストランは僕と息子が週に3日は通うという辻家の食堂で、特におすすめは手作り餃子と蒸した白身魚のネギ載せと鶏肉の鉄板焼きだ。この三つは、ここに通いだしてから今日まで必ず毎回注文をする、何度食べても飽きない定番ということになる。奥さんの名前はメイライ、ご主人はシンコー。本当に優しい、僕と息子にとっては、まるで家族のような人たち。
今はフランス人の友達ばかりになったが、渡仏間もない頃は、言葉の問題もあり、なかなか家族ぐるみでお付き合いできるフランス人はいなかった。で、なんとなくライスつながりで、中国、韓国、カンボジア、ベトナム、台湾、などアジアの人たちと顔見知りになる。同じアジア人なので、あ~、あんたら日本人なのね、こんにちは、という流れは自然だ。けれども、フランス語を喋れるようになると、フランス社会との関係性も変化した。結局、渡仏から18年、フランス人の友人が増え、アジア人の人たちとの交流は減ってしまった。もう、ライス繋がりで頼らなくても生きていけるようになったからかもしれない。
もう一つ、パリで暮らすアジア人と心を割って親しくなれない理由がある。アジア系の人たちは同族のコミュニティが強すぎるのだ。若い世代は別だけど、僕と同世代の人たちはパリにいながら祖国を持ち込んでその社会に根差して生きている人が多いので、深入りしにくい。日本人は徒党を組まないので、こっちで根付いている日本人の多くは一匹狼が多く、それはそれで繋がる機会も少ない。在仏日本人同士の強いコミュニティは、あることはあるけれど、駐在員さんとかのグループが主体で、日本人同士でつるんでいる人たちは他のアジア人に比べると極端に少ない。オペラあたりで村社会を作っている昔ながらの人たちもいることにはいるが、僕が率先してそこに参加することはない。日本や日本人の悪口を言う人が多いし、なんでパリまで来て村社会作ってんだろう、とたまに不思議になる。
そんな中で、このメイライとシンコーご夫婦とは数少ない、というのか、唯一親しくさせてもらっているアジア人ということになる。メイライは遠い親戚なのか、と思わせる風貌で、心が広く知的な人柄、品があり、その物腰や態度には気遣いや優しさが滲みでていて、僕も息子も本当に大好きだ。ご主人のシンコーさんはいつも笑顔で柔らかい人当りでこの人が怒ったり、しかめ面をしたことを見たことがない。「中国はどちらのご出身ですか?」と質問をしたら、「二人とも南京です」と返って来た。歴史でしか習ったことのない南京という場所からパリに渡って来て、すでに45年もの長きにわたりここに根付いている二人。子供たちはみなフランス人と結婚し、孫たちはフランス人としてこの国に溶け込んでいる。数々の美食の賞を手にしている本格的な中華レストランである。
で、いつもの会話の流れで何気なく「バカンスの時期は中国ですか?」と質問をしたらメイライが、「あ、それが夫婦で北海道に行くのよ」と言い出した。彼らのやさしさに救われてきた僕に恩返し出来るチャンス到来である。思わず、美味しいレストランを紹介したい、と申し出てしまった。「僕は北海道で7年暮らしていたから、土地勘もあるし、美味しいレストランをご紹介できます」と。するとメイライが喜んだ。「ほんとうに? それは嬉しい。私たち、レンタカーを借りて札幌周辺をドライブしたいの。二人で日本を旅するのは20年ぶりだから本当に楽しみなの」
勢いあまって、偉そうなことを言ってしまったが、僕はもう20年以上札幌の地を踏んでいない。今の札幌の何がわかるというのだ! 僕は家に帰り、ネットでいろいろと調べることになった。古い記憶を頼りに、ラーメン屋、すし屋などを探したが、昔、通っていた店はもうなかった。なんとしても、彼らの古希旅を成功させたい。中国の友人夫婦に素晴らしい日本を紹介し、日本をもっと好きになってもらいたい。暫くの間、ネットとにらめっこが続きそうだ。