JINSEI STORIES
滞仏日記「息子を見送る父の気持ち」 Posted on 2019/06/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、中学最後の授業の日となった。小学校の5年生から今日まで(フランスの中学は4年制)二人で生きてきた。彼は決して泣かない子だった。でも、幼かったあの子をなんとか励まさなきゃと思って当時は必死だった。中学にあがり、彼はラッキーなことにクラスメイトに恵まれた。たくさんの友達たちが彼の財産となった。そして、息子に笑顔が戻った。彼は僕の胸の高さほどしかなかったけれど、中学に入ってバレーボール部に所属し、身長がぐんぐん伸びていった。バレーなんかやったことがなかったが、僕は放課後のコーチを務め、毎日、夕食前に近所の公園でバレーボールの特訓をやった。パリ大会で毎年入賞をするようになった。きっと息子よりも僕の方がそのことを喜んでいたし、自慢に思っていた。それは疑いようがない。落第しかけていた息子だったが、今年成績がクラスで一番になった。本人よりも僕の方が喜んだ。馬鹿なオヤジだということはわかっているが、僕は嬉しくてしかたがなかった。
そして、その中学校生活も今日で最後となった。最後の通学の日だ。僕はいつものように朝ごはんを作り、子供部屋に届けた。ちなみに今日の朝食はサラミのベーグルとバナナと牛乳だった。そして息子はいつものように7時40分に家を出る。8時から授業が始まるからだ。家から学校まで歩いて20分ちょうどだった。
「なに、どうしたの?」
「別に。ちょっと用事があるんだよ」
「こんな早くに?」
「ああ、自動車の窓の調子が悪いから工場に届けるんだ」
「朝の8時に?」
「早い方がいいだろ。途中まで一緒に行くよ。たまにはいいじゃん」
僕と息子はそうやって階段を一緒におりた。もちろん、この4年間で二人揃って朝家を出るのははじめてのことでもあった。僕は家が仕事場だから、昼過ぎまで外に出ることはない。でも、その日は朝食を出した後、すぐに着替えて息子が出かけるのを待った。小学校の最後の登校の時のことを思い出していた。フランスは小学校いっぱいまで親が一緒に登下校をしないとならない。誘拐が多いので義務付けられている。そして、中学から彼は一人で登校をするようになった。なぜか、中学最後の朝、僕は息子と一緒に家を出たかった。ただ、それだけだ。一緒に階段をおりて、門を出て、大通りへと向かった。
「どうだった? 中学生活」
「よかったよ」
「お前はいつも、よかった、しか言わない」
「だって、よかったんだから、他に言いようがない」
僕は肩を竦めた。息子も肩を竦めた。7、8分ほど会話もないまま歩き続けた。
「車、あっちじゃないの?」
交差点で、息子が言った。ああ、そうだった、と僕はごまかすように頷いた。校長先生やこれまでの担任の先生たちの顔を思い出した。
「来週の中学卒業試験、大丈夫なんだろうな? そこでしくじったらまた中学生だ」
「大丈夫だよ、僕、ちゃんと勉強してるんだから」
「ああ。じゃあ、最後の授業頑張って」
「パパ、いつも通りにやってくるだけだよ」
息子がそう吐き捨てた。僕は立ち止まり、踵を返した。でも、あと何年、この子を見守ってやることが出来るだろう、と考えてしまった。僕は不意に立ち止まり振り返った。息子が50メートルほど先の大通りをゆっくりと横断していた。大きくなったな、と思った。僕は急いで携帯を取り出し、その後ろ姿を写真に残した。