JINSEI STORIES
滞仏日記「勝負と友情のあいだ」 Posted on 2019/06/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子が携帯を握りしめ、友達の誰かと、早口のフランス語で揉めていた。電話を切った息子に、どうした、と訊いた。
「それが今日、バレーボールの試合なんだよ。今、ステファンから電話があって」
「何があったの?」
「エリックが試合に出たくないって言い出した」
「なんで?」
「恋人といたいんだって」
フランス人らしいな、と僕は思ってふき出してしまった。
「いいじゃないか、恋人といたい気持ちも大事だろ」
「でも、今日は決勝戦だよ」
今度は飲みかけていたコーヒーをふき出してしまった。
「え? パリ大会の決勝戦?」
「そうだよ。なのに来ないって。彼がいないんじゃ負けちゃう。あの子が一番技術があるんだから」
「そりゃ、ダメだ。エリックに電話したのか?」
「なんで僕が?」
「仲間だし、勝ちたいんだろ?」
「今、僕はキャプテンじゃないから、それはステファンの仕事だもの。僕の仕事じゃない」
これがフランス人的な言い方である。C’est pas ma faute!という。それは僕のせいじゃないよ、という常套句だ。これを言われると本当に腹が立つ。でも、便利な時もある。最近、僕も映画のスタッフに面倒くさい仕事を依頼されると、この言葉を返してやる。にやり。
「でも、その前に、君は仲間だろ。中学最後の大事な試合じゃないか? 別に恋人を連れてくればいいじゃない」
「それは彼の問題だから、関係ない」
「でも、卒業したら、もう中学の部の試合には出れない。あとで残念がっても遅すぎる。ステファンだけに任せないで、君もエリックに電話しなさい」
「もう、間に合わない」
僕は肩をすくめて、それから笑った。
「おい、それでお前はいいのか? 去年は優勝したのに。今月いっぱいで卒業じゃないか」
「でも、どうしようもないじゃん」
「今まで一緒に汗流してきたのに、決勝戦に出ないなんてことあっていいのか? 今まで三年間の苦労はどうなる」
「それは僕のせいじゃない」
息子は出て行った。それから半日が経ち、夕刻、息子が帰って来た。ポケットからメダルを取りだし、テーブルの上に置いた。それは銀メダルだった。息子は僕の仕事部屋の窓際の椅子に腰を下ろして、ちょっと残念そうな顔をした。
「よかったじゃん。銀メダル。エリックは?」
「来たよ。でも優勝は出来なかった。その上、彼は金メダルに手が届かなくて泣いたんだよ。コートのど真ん中で! 僕らはしらけて誰も泣かなかった」
「銀メダル、すごいじゃないか」
僕は嬉しくなって、息子の肩を叩いた。
「来たのと来ないのとでは意味が全く違うぞ。いい結果だと思う。友情が勝ったということだろ」
「友情が勝つ?」
「ああ、その銀には意味がある。次のチャンスがあるってことだ。パパがお前たちに金メダルをくれてやる」
「なんの金メダルだよ」
「友情の金メダルだ」
息子が鼻で笑った。僕は腹の底から笑った。いい思い出になった。中学最後の試合でみんなが力を合わせて銀メダルを掴むことが出来たのだから。ぜんぜん悪くない、と僕は思った。