JINSEI STORIES
リサイクル日記「おしてもだめならひいてみな」 Posted on 2022/07/30 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、人間は何をやってもうまくいかない時というのがある。
どんなに頑張ってもぜんぜん開けない時がある。
ぼくは結構、長いこと、うまくいかない日々が続いたことがあった。
なんでだろう、とぼくなりに悩んだけど、理由はわからなかった。
でも、なんにもしてないのに、うまくいく時もあった。
この差はなんだろう。
とくに何かやるわけでもないのに、物事が思い通りにならない時、何にもしてないのに、とんとん拍子な時、不思議である。
結論としてはだったら、無理してもしょうがない、ということになるのかな。
おしてもだめならひいてみな、と昔、水前寺清子さんが歌っていたっけ。
今日の僕はどっちかというとそういう心境だった。
いろいろなことが行き詰った感じで、どんなに押しても開かない。
そこでこりゃダメだな、とあっさり気分を変えてみることにしたのだ。
人生と言うのは不思議なもので、押し続けないと突破できない時もある。
でも、八方塞がりの袋小路に陥ったら、突進するだけが脳じゃない。
埒が明かない。
そういう時は引き戸かもしれない。
いや、引き戸なんだよ。
全力で頑張ったのに、周囲の理解を得られなかったり、どんなに頑張っても物事が思い通りに行かない時は、手を抜く。
ならば、やってみろよ、とどことは言えない場所に向かって言うことにしている。
そして、少しの間、関係ない、別のことをやっていいればいいのだ。
そのことにばかり囚われ、そればかりやっていても、思うように動かないなら、離れたらいいし、違うことをやって気を紛らわすのも手だ。
実際、一度離れてみた方がいいこともある。
そうすると、流れが変わったりする。流れが変わらなくても、自分の気分は変わる。
一度、頭の中を新しい気持ちに入れ替えてみればいいのだ。
「おしてもだめならひいてみな」の精神こそ、長い闘いに必要な手段と言える。
そういう手もあったか、と昔、昭和の作家が言った。
まさに、そういう手もあるんだから、一つのことにばかり執着しないで大局的な見地でのんびりと俯瞰することも必要かもしれない。
その現場からちょっと離れて、眺めてみると、意外な盲点というのか、方法が見えてくることもある。
そもそも、死ぬわけじゃないんだから、命がけになる必要はない。うんうん。
必要とされていないなら、離れたらいいんだ。
全否定されているのにそこまで頑張る必要があるものか。
リスペクトされてないのに命を懸ける必要はないと僕は思っている。
傾ける場所や方向が違っている。
お手並み拝見でいいんじゃなか。
「おしてもだめならひいてみな」である。植木等さんが「分かっちゃいるけど やめられねぇ」と歌っていたけど、あれも昔、心に響いたなぁ。
その後「スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ」と続くのだけど、なんか気分が晴れ晴れする歌でした。
水前寺清子も植木等も昭和の歌手であった。
いい時代だったな、と僕は思う。
昭和は戦争もあり、終戦もあり、復興もあった。
励ますのが上手な時代であった。
僕は子供だったけれど、「Oh~モーレツ!」とか言いながら、がんがん前進していた昭和も好きだった。
さて、結論としては、頑張ってもうまくいかない時は、引いてみたらいいのだ。
思いっきり、そこから離れてみるのも一つの手かもしれない。
いろんな関係性から遠ざかってみるのもいいかもしれない。
ルーティーンを変えるのだ。
話題を変えても、付き合いを変えても、帰るいつもの道を変えたらいいのだ。
いつものお決まりのランチとか、必ず飲むワインとか、ジュースとか、ちょっと変えてみたら気分も変わる。
いつもの仲間たちから離れて、今まで一度も話したこともなかった遠い仲間に話しかけてみるのも手かもしれない。
思いがけず扉が開くかもしれない。
押してもだめなら引いてみな、である。