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滞仏日記「囲み取材を乗り越えるための心得」 Posted on 2019/05/23 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、僕は今日とっても憂鬱だった。実は日本に入る前からこの日が最大の事案であった。新刊発売に関係する「囲み取材」があるからだ。囲み取材というのはメディア(雑誌、web媒体、テレビ)の方々に取り囲まれて一斉に取材を受けるという、あれ。たくさんのカメラに囲まれ、マイクが左右から突き付けられる、よくテレビで見かける、あれ、のこと。で、レポーターさんの鋭い突っ込みにあう。この度の新刊は不倫などをテーマに扱っている恋愛小説でいわゆるドロドロの愛憎劇の要素も強い。同じ幼稚園に通う幼稚園児を持つ二組の夫婦の4人の心の交接を、セクシャリティや性愛や憎しみや裏切りなどを通して、現代日本の今を描き切ろうとした野心的な恋愛作品なだけに、突っ込みどころ満載。愛情という海原を漂流するこの4人の男女の心の描写だけで(風景描写がほとんどない)書かれた心理劇でもある。話が脇道にそれないよう、きちんと最後までぶれずに小説の中身について語り通せるかどうか、が気がかりであった。胃が痛くて前の晩はよく眠れなかった。顔が強張っていたのはそのせいである。それほど、この小説は刺激的なのだということかもしれない。

会場となった六本木「文喫」書店のイベントホールに行くと、思った以上の報道陣の数。離婚会見とか何か事件が起きた時に起こる囲み取材レベルの人だかりで、この小説の刺激度が高いことを物語っていた。芸能レポーターの方々に挟まれる格好で取材が始まった。話が脱線しないように、僕は気持ちを引き締めなければならなかった。こういう時、僕は自分に言い聞かせる。「調子に乗っていると足元をすくわれるし、道を踏み外す。それは全て自分のせいだ。いいか、常に人生は、冷静と情熱のあいだ、で行け」

そうだ、人生は冷静と情熱のあいだ、にこそある。

場の空気というものがある。報道陣の心を掴んでこその勝利だったりするので、一人一人のカメラマンや記者さんの顔をきちんと見ることから僕はやる。どのような質問が飛び出しても慌てずに冷静にでも情熱をもって答えることが大事だ。誤解されるならばそれは自分が感情的になったり偉そうにしてしまったり相手の人格を無視したために起きる。囲み取材が始まってまもなく、子供の話へと移った。僕の緊張はさらに高まった。

「この作品をお子さんに読ませることができますか?」と記者さんから質問が飛び出した。「いや、それは・・」と言った直後、数秒、僕の頭がフル回転した。この質問から逃げずにどう着地させ、しかも作品への関心を高められるかが今問われているのだ、と僕は実感した。子供が漢字を読めないという理由から始まり、フランスにおける子育ての大変さなどへ話を持っていく。僕の身長を超えた息子の将来について正直に言葉を選んだ。子育てについて僕が語り始めると、場の空気がガラっと変わった。だいたい、テレビカメラの方々が一番後方に陣取っているのだけれど、レンズを覗き込んでいる彼らの表情こそが判断材料となる。中央の経験豊富そうなカメラマンさんの口元が緩み、白い歯が見えた。報道陣から温かい笑いが起こった。そこで僕の緊張はほぐれ、ようやく自分の将来や作品について語る力を得たのであった。

久しぶりの囲み取材が終わり、楽屋へと戻った。途端、脱力し、僕は椅子にへたり込んでしまう。そして、よかった、と呟いた。内容が良かったかどうかは別として、本が出版された、ということを世の中に届けることが出来たからであった。
 

滞仏日記「囲み取材を乗り越えるための心得」