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リサイクル日記「全ての人間に与えられたギフトについて」 Posted on 2022/06/10 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、僕たちは誰もが人生を与えられているのだということを、今日、マロニエの街路樹が聳える大通りを走りながら、再認識した。
ギフトなんだと思えば、この人生も苦痛ではなくなる。
試練だと思えば、生きることは不意に過酷なものとなるだろう。
どちらがいいか? 
すでに生きてしまっているぼくらはギフトと思うべきであろう。
どちらにしても生きなければならないのであれば、自分に都合のいい解釈をするべきだ。
文句ばかり言っていてもどうしようもないことがある。
そのことだけに人生を振り回されて、一生文句ばかり言い続けて死ぬのは愚かである。
この人生は与えられたのだから、有効に使うべきだし、有意義に活用すべきなのである。

リサイクル日記「全ての人間に与えられたギフトについて」



もちろん、与えられた人生のスタート地点は人によってさまざまだ。
貧しい家で生まれる人もいれば、貴族の家に生れ落ちる人もいる。
でも、人生の始まりは変えられないけれど、人生そんものはその後、手懐けることも、移動させることも出来る。
その上、与えられた人生を有意義に活用出来ないのは、もったいない。

リサイクル日記「全ての人間に与えられたギフトについて」

フランスの作家、アルベール・カミュは「異邦人」や「ペスト」で有名だが、彼はアルジェリアの貧しい家庭で生まれている。
父はカミュが生まれた年に戦死し、母を含め彼の周囲には読み書きが出来る者がいなかった。
けれども彼は史上二番目の若さでノーベル文学賞を受賞した。
彼がどうやって文学を獲得したのかは歴史に譲るが、ぼくが言いたいのはどこにどう生れ落ちようと、その人間が掴もうとする何かを持っているかどうかで、その人の人生はいかようにもなる、ということだ。
最初から諦めていてはギフトを活用できない。
カミュは運もあったし、周囲に恵まれたこともあった。
でも、一番、見習いたいのは彼がその人生を求めたことであろう。
そして、与えられたギフトを最大限使い切ったということだ。もっとも、彼は交通事故で亡くなっているのだけれど、…。

リサイクル日記「全ての人間に与えられたギフトについて」



ぼくが一番大事にしていることは、人生に浸り続けることである。
自分の人生にぼくはどっぷりと浸かって生き切りたいと思っている。
それは物心がついた時から何も変わらない。
ぼくは自分の人生を満喫してこの世を去りたいと思っている。
死後の世界に期待などない。
前世など関係ない。
今生の与えられた一生をフルスピードで駆け抜けてみたい。
誰もが生まれたと同時にギフトを受け取っている。
様々な形の贈り物だけど、それを使いこなすチャンスが大なり小なり人間には与えられている。
いい家に生まれていながら、そのせいで活用できない人もたくさんいる。
貧しい家に生まれたからこそ、そのギフトを最大限活用出来た人もいる。
それは自分で決めればいい。
それが人生のギフトだ。
初投稿、2019年5月
 

リサイクル日記「全ての人間に与えられたギフトについて」



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