JINSEI STORIES
滞仏日記「八海山で作ったカクテル・パロマの味が最高な理由」 Posted on 2019/05/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は行きつけのバーで、十年来の友人と久々に飲んだ。パスカルは長年本屋を経営していた。僕が作家だと知ってからの付き合いになる。奥さんのイザベルと僕がまず仲良くなり、パスカルが元ミュージシャンだと分かって、親交が深まった。年が一緒なので話すことは若い頃に聞いた音楽や読みあさった文学のことが中心。だけどこれが不思議なことに、生まれも育ちも全然違うというのに、同年代だからか、同じものを聞いてたし、同じものを読んでいたので、びっくりするくらい話があって、尽きなかった。その上、同じ年だからか、最近はこれからの人生についてよく語り合う。彼は書店を閉めた後、今はホームページ開設学校のようなことを生業としている。
「ツジはこれからもずっとパリなの?」
「どうかな。息子が大学に入ったら、多分、パリは出る。もう少し旅をしたい。どこか違う土地に移って、そこで暮らしたいかな。出来ればもう少し太陽があるところがいいな」
「パリは暗いからね。イザベルとよく話し合うんだけど、僕らもそろそろパリを離れるかも。実は、息子のピエールは今北京の大学にいるので、来月一月、中国を旅する」
「知らなかった。あの子、今、大学生なんだ」
「うん。卒業したら多分、彼は中国で仕事を見つけることになるかな」
「そっか、そういう人生もあるだろうね。中国を旅するなら日本にも寄ってよ」
「福岡に3日くらい行く予定だよ」
「マジか、福岡には僕の母と弟が住んでるんだ。僕も最近福岡で仕事しているから、会えるかもね」
「いいな、君の故郷で再会出来たら、僕もイザベルも嬉しいよ」
とりとめもない会話が続いた。それを若いバーマンのロマン君が訊いていた。彼が不意に一杯のカクテルを僕の前に置いた。
「ツジさんにもらった八海山で作ったカクテルだけど、二人の友情に、僕から」
「おお、素晴らしい!」
先月新潟に行った時に駅構内の売店で買った新潟でしか買えない八海山をロマンにプレゼントしたことを忘れていた。ロマンはそれをパロマというカクテルに応用したのだ。普通はテキーラをベースにするのだけど、この八海山バージョンは格別であった。
気が付くと僕の周りはフランス人の友達ばかりだ。離婚の後、それまで仲良くしていた日本人の知り合いに掌を返されて、ま、人間のせちがらさを味わった。日記に書くことではないけど、あの頃の屈辱ったらなかった。それで、ちょっとパリの日本人不信に陥って、子供のこともあったのでパリ日本人社会とは距離を置くようになり、自然、フランス人の友達が増えた。ついでにそのおかげで僕のフランス語は上達をした。
僕の存在はフランス人たちにどのように映っているのだろう? 僕が暮らす街の大通りのほとんどの商店主とは仲良しだ。多分、こんな日本人は珍しいだろう。どこに顔出しても、呼び止められて長話になる。古書店のお母さん、ワイン屋の店主、レストランのシェフ、カフェのギャルソンに、八百屋のあんちゃんや、アンティックショップのおやじ、美容院のお姉さんや、とにかく、僕はこの街ではムッシュ・ジャポネなのである。息子はここで生まれたので、彼がこの街に愛されてすくすくと成長していることも嬉しい。僕が暮らす建物の住人たちは全員仲良しで、助け合う関係にある。異国で生きる時には、郷に入っては郷に従え、が基本だと思う。しかし、その上で、自分を主張し、対等であることがもっと大事だ。対等になった時に、人は本心を開く。この国で暮らした18年(計算したら17年じゃなかった)はいろいろとあった。でも、ここにきてやっと本当に根差すことが出来たと思う。
パスカルが別れ際に、
「君がノートルダムのためにチャリティを開いて僕らに寄り添ってくれることに感謝するよ、僕に出来ることがあれば手伝うからね」
と言ってくれた。僕は笑顔で頷いた。やっと心の底から微笑むことが出来るようになった。八海山がパリでこんなに馴染んでいることも嬉しかった。日本酒と自分が重なったのである。