JINSEI STORIES
リサイクル日記「がっかりしないための心得」 Posted on 2022/06/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、「どうせ期待してないし」というネガティブな言葉を僕は時々使う。
これは自分が傷つかないための防衛線のような役割を果たしてくれる。
そもそも、人間というのは、期待するように出来ている。
だから、ほっとけば何に対しても期待してしまい、見渡せば、だいたい人間ががっかりする要素のほとんどがこの期待から生まれている。
なので、僕は最近、これがあまりいい言葉じゃないと分かっていながら「どうせ期待してないし」と心の中で呟くようになった。
期待しそうになる自分への歯止めとして・・・。
自分以外の人に期待しないのには理由がある。
そもそも期待するということは、自分以外の人間に振り回されるということを連れてくる。
期待することで、知らないうちに、見えない成果だとか、出来なかった時の不安なんかに振り回されてしまう。何も手に入れてないのにまるでもうそれをゲットしてしまったかのような気持ちになることで、振り回されてしまう。
とにかく、期待に振り回されてしまう。
これほど愚かでお粗末なことはない。
期待しなければ振り回されることもない。
他人に期待するのはいいけど、その期待にその人が答えられないと、人間というものは自分のせいじゃなく、その人のせいにして、頭にきたり、文句を言ったり、批判したりするようになる。
そもそもそういう自分を見たくないし、知りたくないから、僕は「どうせ期待してないし」とまず自分に言い聞かせることで、自分を嫌いにならないように予防しているということもできる。
こんなことで他人を嫌いになるのは本末転倒で、それこそ愚かな結末を招く。
そもそも期待する、という行為は、自分でやらないで人に依存するから生まれるのである。
そのくせ、思い通りの結果が生まれなかったら、任せた人へ怒りが向かうのはどう考えても不条理じゃないか。
ただ、他人に期待する人というのは人間を信じようという気持ちがあるので、悪い面ばかりではない。
「どうせ期待していないし」が過ぎると他人を信じなくなるので、この辺の線引きが難しい。
僕は自分が出来ないことは他人にも期待しないことにしている。
期待したことがダメな時は最終的に自分のせいだと思うようにしている。
自分の実力が足りなかったからこういう結果になったのだ、とまず人を責める前に自分を責める。
がっかりしている自分には、それが今の自分の実力なんだからしょうがないじゃん、これから一緒に頑張ろうよ、と言い聞かせるようにしている。
その上での「どうせ期待してないし」なのだ。
つまり、がっかりするくらいなら自分でやれよ、ということを僕は自分に言いたい。
それも、これも含めて、お前自身の問題なんだよ。
だから他人に逆恨みするのはめっちゃ間違えてんだよ、と言いたいのである。
つまり、「どうせ期待してないし」というのは、「ならば自分でやろうよ」ということに繋がる。
「人任せにしないで、他人に依存しないで、自分でやってみろよ」ということなのだ。僕はこの言葉を自分に向けて使っている。
「仁成、わかったろ。楽をしようとするからこういう結果になるんだよ。
さ、一からやり直し」に他ならない。防衛にもなるけれど、自分への叱咤激励にもなる一挙両得の言葉が、「どうせ期待してないし」なのである。
ああ、なんて世知辛く厳しい世の中を僕らは生きているのであろう。
お知らせです
2022年6月の文章教室のご案内詳細は、下の地球カレッジのバナーをクリックください。