JINSEI STORIES
滞仏日記「平成最後の一日に僕がしたこと」 Posted on 2019/05/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、明け方に目が覚める。まだ外は暗く、物音がしない。歳だからか、日仏の行き来が多いからか、おかしな時間に目が覚めて困っている。一日は日記を書くことから始まる。起きたら仕事場に移動し、だいたい30分くらいかけて思ったことをまとめる。頭のラジオ体操のようなものだ。公開日記の習慣は、始めた頃は結構大変だったけれど、慣れたので今は日課となった。むしろ、自分が日々考えていることがカタチになるので、書くことで発見できることも多々あり、楽しくなってきた。滞仏日記をDSに投稿したら、コーヒーを淹れてキッチンで立ち飲みする。ネスプレッソなのだけど、白んでくる窓外の景色を眺めながら飲むコーヒーは格別である。
朝の八時、息子を起こし、血液検査のラボへと出かけた。ちょっと気になることがあったので昨夜ジェネラリストの先生を訪ねた。一応血液検査だけしておきましょうということになり、連れていく。日本だとまず専門医のドアを叩くがフランスは最初に主治医(ジェネラリスト)の検診を受ける必要があり、その後、主治医の判断で必要ならば大病院などが紹介される。昨日の検診では問題が発見されなかったので、主治医の近藤先生は、まず大丈夫ですよ、と言ってくださった。でも、万が一の場合もあるので血液検査だけはしておこうという流れだ。ラボは早朝なのに大勢の人が並んでいた。順番が来ると受付の人に医師が作成した処方箋(オルドナンス)と保険証(カード)を手渡した。息子が採血と尿検査を受けている間、そこにいてもしょうがないので僕は近くのカフェで待つことになるが、注文したカフェオレが出来るより前に腕を抑えながら息子が道を渡って来た。「早かったね」「うん」「なんか食べるか?」「うん」クロワッサンとホットチョコレートを息子のために注文した。近藤先生は在仏の日本人医師で、辻家の主治医で、息子が子供の頃から診て頂いている。本当に親身になって診てくださるので、何よりも心強い。息子が3才の時にひきつけを起こした時にも夜中だったにも関わらず電話で応対をしてくださった。ひきつけは一度だけだったが、その後も足の骨を折ったり、インフルエンザになったり、ことある事に先生が引き受けてくださった。その丁寧なそして心優しい仕事の仕方は異国で生きる在仏日本人を強く支え続けている。「まぁ、大丈夫。心配いりません。でも、一応、用心のために、血液検査だけはしておきましょう」
午前中は、仕事のメールが次々に飛び込んでくるのを処理しながら、書きかけの小説と向き合った。小説を書くという行為は貯金のようなもので、こつこつパソコンと向き合っていくとある日、貯金が作品へと変化する。ゴールを意識すると筆が走るので、先のことは考えずに書くのがいい。書きかけの小説が袋小路に入っていて、どんなに頑張っても新機軸を発見できない。結局、僕はそれをハードディスクに移して、お蔵入りと決めた。長い時間向き合った作品だけど、こういうこともある。貯金が破綻することもあるのだ。気分を変えるために、買い物に行き、昼ご飯を作った。今日は野菜やフルーツを食べたかったので、アボカド、エビ、ルッコラ、グレープフルーツ、レモン、モッツアレラチーズ、などを主材料としたサラダパスタにした。何を作るかということを前もって考えたことがない。お腹がすくと勝手に閃くのでそれをいつも作っている。ついでに写真も撮って、もしも、うまく出来たならば、それを女性自身のレシピ連載へと回す。今回はとっても美味しく出来たので、食後、レシピ化して編集者とフーディの尾身奈美枝さんに送った。尾身さんは僕が書いたレシピを毎回再現して日本で実現可能かを精査する役目。フランスの食材やスパイスなど、日本で買えないものも多いので、その場合、彼女が日本の食材に置き換える。僕が拵える料理をまず食べるのは尾身さんのグループ(3人衆)だ。テレビ番組の収録の時に僕の担当をしてくださったのが出会いで、その後書いた拙著「エッグマン」の有栖川料理研究所のモデルは実は尾美さんの有限会社ホロホロカンパニーなのである。
食後、僕は走った。いつもとコースを変えて、左岸のボンマルシェ周辺を一周した。この時期はマロニエの花粉が酷く、これが目に見えるくらいに大きく、一度喉に刺さって咳が止まらなくなったので、ライブも近いし、マスクをして走ることになる。フランス人はマスクをしないので、すれ違う人の視線が新鮮である。実に愉快だ。最近、フランス政府もマスクを推奨している。排気ガスが酷いので、僕がフランス人のお手本になるため、マスクをかぶって走るようになった。「大気汚染の酷い日は走ることが逆に健康を害することになるので、注意してください」と近藤先生に注意されたことがあった。僕は大気汚染アプリ「AIR PARIF」でチェックしてから走るようにしている。オレンジ色や赤色表示の日は走らない。
午後はエッセイなどの仕事をしてから、歌の練習。NNNのパリ支局長さんからノートルダムチャリティコンサートの取材依頼が舞い込んで、パリの仲間たちと電話会議。仲間たちはオペラ地区を重点にチラシ(フライヤー)を撒いているというので僕も夕方、お手伝いに出かけた。とりあえず行きつけのバーに顔をだしたら、いっぱいやりたくなった。チラシをマスターのロマン君に渡すと、「絶対、行きます」とカレンダーに印をつけてくれた。あまりに地味な宣伝作業なので、僕は苦笑してしまう。お客さんは僕を含め三人、小さなカウンターに並んでいる。僕はいつものマルガリータを注文した。夕刻の静かな時間である。夕飯は鶏ひき肉とキノコの和風カレーにしよう、と次の瞬間、閃いた。日本の友人、島田さんから「つじちゃん、もうすぐ令和になるぞ」と興奮気味のメールが飛び込んできた。僕はパリの夕刻の日差しに目を細め、心の中で、平成と国民を静かに見守ってくださった陛下に小さくお礼を述べた。