JINSEI STORIES
滞仏日記「今現在のノートルダム大聖堂がどうなっているのか?」 Posted on 2019/04/21
某月某日、TBSのサンデージャポンから「ノートルダム大聖堂大火災後のフランス人の現状を電話取材したい」という連絡が入り、ならば見に行く必要がある、と思って朝一で僕はノートルダム大聖堂へと出かけた。今日はジレジョーヌ(黄色いベスト運動のデモ)の日で、しかも情報によると最近では一番過激なデモになるらしい。デモはだいたい昼過ぎに中心部で行われるので巻き込まれたら大変だ。なので、家を9時に出た。
フランスは春のバカンス期に突入しており、市内はガラガラであった。僕はノートルダム大聖堂を真正面に拝むことのできるサンルイ島に車を停めた。左岸からサンルイに渡る橋の上にもマスコミの車両が数台残っていた。火災の直後、ここは世界中のマスコミの待機場所になっていたそうだ。サンルイ島の突端にあるカフェはたまたま知り合いが経営者で僕はそこに入り、店員たちと歓談をした。大火災の直後は心配する大勢のフランス人が押し寄せ、道は歩けないほどの人で溢れかえっていたらしい。カトリックの信者が多いので彼らのすすり泣く声や讃美歌を歌う声が耳に焼き付いたという。今はノートルダム大聖堂を一目見ようと世界中の観光客たちがバスで乗り付け、日中はシテ島側の道は溢れかえるのだとか。僕が訪れた朝の9時過ぎにも結構な観光客がすでにいて、多分、アメリカ人だったが、のどかに記念撮影をしていた。
快晴だった。あの大火災の時の天を焦がす勢いの煙の映像が頭の中に焼き付いていた。だから、悲惨な景色を見ることを覚悟して来たのだけれど、実際に見る大火災後のノートルダム大聖堂の印象は今までの工事中だった外観との極端な差を感じなかった。もちろん、焼け落ちた尖塔がないので、違和感はあるのだけど、石で造られた外観はそのまま残っているし、表面が焼けて黒焦げになっているわけでもなく、不謹慎ではあるが、何か救われた気分になった。むしろ、その凛々しい佇まいに変化はなく、再建へ向けて新たなノートルダム大聖堂の姿が見える気がしたことに、僕はある種の希望を感じとることさえできたのだ。一言で言えば、希望、がそこにあった。僕の横にいるカップルはポーズを決めて写真撮影を繰り返していた。その口元には笑みが浮かんでさえいた。それを不謹慎と呼ぶことのできない、穏やかな時間がそこにはあった。
僕はカフェオレを注文し、テラス席から暫くこの穏やかな風景を眺め続けた。屋根に使われていた300トンの鉛が下に落ちたということで、復旧作業に懸念を示す環境団体の記事を今朝読んだ。ノートルダム大聖堂では毎年25キロのはちみつを生産しており、屋根の上で蜜蜂を飼っており、その蜂たちが無事だったという記事も見つけた。蜂は女王蜂を守る本能があるようで火災の最中、女王蜂を囲んで、巣から出なかったのだとか。日々、いろいろなニュースが出てくるが、ノートルダム大聖堂は今も昔も世界中の人々の関心事の真ん中にあるように思えた。
帰りがけ、一人の老いたマダムに声をかけられた。近くの建物の管理人をやっているのだという。「あなたはどこから来たの?」「日本人です。でも、パリ在住の」「あの大聖堂は私たちカトリックの信者にとっては人生のすべてだった。あの聖堂を見上げて祈らない日はなかった。だから、家族を失ったように悲しいのよ。そのことを世界中の方々に伝えたいの。あなたにも伝えてほしいの。再び、大聖堂が人々の心を癒す場所にしなければならないのよ」僕は黙って頷き、マダムの想いに耳を傾け続けた。