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滞仏日記「恋の自覚がない恋」 Posted on 2019/04/11 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、滅多に息子から連絡がないのに今日、大量の写真が送られてきた。なんだろうと覗くと、流行りの動物の鼻とか耳を付けたプリクラのガールフレンド君との2ショット写真ではないか。普段クールな子なのでよっぽど見せたかったのか、嬉しかったので見せる相手がパパしかいないのでとりあえず送ってみたのか、あまりに青春な眩い写真を受け取り、しばし、苦笑いがとまらなかった。

全部で10枚。場所はどうも彼女の部屋のようである。加工してあるけど、彼女は息子にはもったいないほど可愛らしいし、まるで絵に描いたような女の子。恋人だろ、と何度も聞いているが、違うよ、ただのガールフレンドなんだ、と必ず否定されてしまう。でも、それはおかしい。まず、彼は彼女の自宅(パリから車で一時間半もかかる郊外の一軒家)まで今までに二回ほど出かけている。ご両親にも紹介され、多分気に入られて、家族と一緒にアスレチックをやりにいったりした。ハイキングしたり、ご飯を食べたり、彼女の部屋で終日遊んで、暗くなった頃にお父さんに駅まで車で送ってもらい、電車で帰ってくる。家にいる時はテレビ電話を駆使してべったり彼女と話し込んでいる。息子の名前を小鳥が囀るように呼ぶのがこの子の特徴で、「だ~りん」とは言わないけど、何かそれに近い甘い呼び方なのだ。何を喋っているのか立ち聞きをしたことがあるが、実にくだらないことを二人は真剣に話している。たとえばどこどこのヨーグルトが美味しいだとか、そのヨーグルトが健康にものすごくいいみたいだとか、その程度の内容で一晩ずっと話が出来るんだから、恋人だろうが!

トイレに出てきた息子を捕まえて、「彼女はついに恋人になったのか?」と率直に訊ねると「だから、ガールフレンドの一人だよ」と速攻戻ってくる。「でも、あんな遠いところの家にもう二回もわざわざ出向いているし、家族とも仲が良くて、それに毎日スカイプでやりとりしているじゃん」「アレクサンドルやウイリアムと何も変わらないじゃん。ただ相手が女の子ってだけでしょ」「それを恋っていうんだよ。異性だから」「違うよ。本当に友達なんだよ。パパにも女の子の親友いるでしょ?」「・・・」別に友達だと言い張ってるのだから、それでいいのだけど、父親としては認定したい。我が子がやっと恋に落ち、間違いなく我が家にガールフレンドを連れてくる日が近いのだから、お菓子を作って待たなければならないじゃないか!

それで僕は気がついてしまった。そもそも息子はまだ恋を知らないのじゃないか、と。知らないからそれが恋と自覚出来ていないだけなんじゃないか、と。彼がとる行動から、それが恋だと確定できる。髪型や服装がその子の登場とともに変わった。男の子とばかりゲームをやっていたのに、もうゲームはやらなくなって、テレビ電話の中の彼女を見つめながら、日々のほとんどの時間を割いている。ウイリアムやアレクサンドルの声はもう聞こえてこない。息子を呼ぶときの彼女の声はいなくなった猫を探す女の子の声なのだ。二人が並んだプリクラの写真は満面の笑顔で、すくなくとも家の中で仏頂面している普段の暗い息子の面影は一切ない。満面の笑み、目は弧を描き、口元は緩んでいる。これはどう見ても恋する人間の顔なのだ。15歳という年齢だから、二人とも自分たちが恋に落ちてることに気がついていないところが可愛らしい。余計なことは言えないから、可愛い子だね、とだけ言っておく。歯は丁寧に磨きリステリンでくちゅくちゅしろよ、とか、前の日にニンニクは食べるな、とか、服は毎回ちゃんと着替えろ、とか、最低限の忠告だけはしておいた。あとは自分たちで決めていくことだろう。自覚のない恋が自覚ある恋に変わる時、なんとなく息子は彼女を我が家に連れてくる気がする。たとえ紹介するには恥ずかしい父親ではあっても・・・。でも、大丈夫、僕はシャツやセーターを全てクリーニングに出しとくから、そして、ちゃんとしたお父さんを演じられるよう今からフランス語ともども練習をしておくから。笑。なんの練習???
 

滞仏日記「恋の自覚がない恋」