JINSEI STORIES

滞仏日記「東京幻想とパリファンタジー」 Posted on 2019/04/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、東京に入ると桜がちょうど最後の見ごろという状態であった。パリの桜もちょうど満開で、まさに桜移動と言うべき旅となった。暫く咲き誇る桜の木の下に立ち、見上げてみる。日本と言えば桜を思い出す。花びらの華憐な美しさもさることながら、その佇まいにいつもいい意味でため息が溢れる。

皇居周辺を静かに散策した。日本も人が多いけど、人いきれがべたべた張り付いてこない印象がある。人々の騒いでいる場所が遠い印象もある。一歩大通りをそれて中に入ると途端に周辺が狭くなり壁が接近してくる。足元に目をやると道と建物との間に隙間がないことに改めて驚かされる。ゴミ一つ落ちてないこの光景は外国人にとっては驚きであるはず。

僕はたぶん、赤坂見附と皇居の間くらいの場所にいた。政府関係の建物がいつくかあり、実際警察官の姿も見えるけれど、人は少なく、何もかもが整然としていて、でも、その交差点にポツンと桜が屹立していたりする。
これが東京の代表的な光景であろう。

パリだって路面と建物は繋がっているのだけど、デコボコしていたり、ずいぶんと減ったけれど石畳みもあり、犬の糞は今も堂々と転がっている。ちょっと大きな道には下水口があり定期的に水が流れて落ち葉などを流している。最近、夜中にランニングをしていると、道の、正確には歩道の真ん中あたりから出てくる人たちがいることに気が付いた。マンホールではなく、似たような四角いコンクリートの扉から。そこかしこに謎の扉があって、そこからごく普通に出てくるのだ。入っていくのも目撃したことがある。夜の9時前後、ランニングの時間に目撃した。いや、真夜中にも一度見たことがあるので、もしかすると真夜中の方が多いのかもしれない。普段人が寝ている時間に彼らは出入りしているのであろう。

この人たちは人の流れが途切れた時にどこからともなくやってきて、周りを確認するでもなく、自ら(だいたい片手で)すっと扉を開けて中へ消えていく。背筋が伸びていて、この世の者とは思えなかった。その間、わずかに3秒という素早さだ。僕はランニングどころではなくなり、好奇心に負けて近寄り、石の扉に手をかけ引き上げようとしたが、あまりに重たくできなかった。何かきっとコツがあるのだろう。別の日、そこからスーツ姿の男が出てきた。ステッキを持っていた。普段は私服で荷物を持った人がほとんど。とはいえ作業着じゃない。だからこそ、奇妙なのだ。そこが地下鉄の工事現場への入り口ならばみんな作業着で出入りするはずだけど(スーツ姿の者までいるのだからもしかして、更衣室があるの?)。パリの都市伝説の新たな一場面を辻仁成は発見してしまったのかもしれない。調査は続く・・・。

さて、東京にも地下都市への入り口は結構ある。映画「東京デシベル」の撮影時、僕らはヒカリエ周辺の地下運河で撮影をやった。ちょうど渋谷署前の交差点で、グーグルマップ上、そのどぶ川は忽然と消えている。今はその地域全体が再開発中で川自体が消滅している。少し前、渋谷署近くの橋の横から降りることが出来た。もちろん、僕ら撮影隊は撮影にも成功した。都会の下はこうなっているのだと驚くばかりの別世界が広がっていた。光りの差さない川に人工の光りを当ててみると、それが意外にも綺麗で、どぶなのに、ガラスを溶かして作ったようなつるつるとした奇妙な川底(ベネチアグラスと言えば言い過ぎだろうな)が見えた。東京にもコンクリートの地表の下には運河や道や地底世界が広がっているのである。もしかするとあのパリのステッキ紳士の仲間が住んでいるのかもしれない。そういえば、大昔、「地下鉄のザジ」なんていう風変わりな小説があったっけ。

僕はこの二つの都市を結ぶ小説を書いている。書き始めて3年が経つけど、途中で割り込んできた新刊「愛情漂流」に先を越されこの作品自体埋もれかかっている。パリの都市伝説をもとに書いているのだけど、空想で書いた場所を訪れると、そこに同じような都市伝説が存在していたこともあり、例えば人肉で作っていたパン屋のミートパイとか・・・。時々、不思議な幻想が起きて、パリと東京が繋がっている気がするのだ。東京で寝泊まりをしているいつもの宿のベッドとパリのベッドの硬さが似ているせいかもしれない。東京で起き上がったのに、僕はパリの仕事場にいてこうやって日記を書いていたりする。息子の部屋からはガールフレンドとの会話が聞こえてきたりする。ああ、でも、僕は時々幽体離脱なんてことをやるので、驚くに値しないことかもしれない。パリに万年筆を忘れたな、と思って寝たら、翌日万年筆を握り締めて目が覚めたことがあった。最近は驚かなくなった。どこまでが幻かわからなくなるのが、この世で生きるということだったりするものね。

滞仏日記「東京幻想とパリファンタジー」