JINSEI STORIES
滞仏日記「鬱っぽい時にどうやって自分と向き合うか」 Posted on 2019/03/31 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、物凄く天気のいい土曜の昼下がり、左岸6区のカフェのテラス席でドラゴンアッシュのATSUSHI君と日仏を駆け回る音楽プロモーターのゴッド・ルミ氏の三人で飲んだ。
太陽の下で笑いながらロゼワインを飲むのが心地がよかった。
鬱(うつ)気味な気分を晴らしてくれる。
電話とかじゃなく、心が閉鎖的な時はこうやって、太陽の下、気心の知れた仲間と向かい合い、健康的にわいわいと楽しむのがいい。
人の笑顔を見ることが一番心を解放させる。
でも、毎日、こんな風にストレスを解消できるわけじゃないのも事実だ。
じゃあ、どうするのか?
日本の鬱傾向にある患者は人口の20パーセントにも及んでいるという新聞記事を読んだことがある。
しかも増加傾向にあるのだとか。はっきり自覚できる鬱ならば病院に行けばいいけど、鬱とは断定しにくい、その手前にある人の数は潜在的にもっと多いのじゃないか。
ストレス社会で生きているのだから、大なり小なりみんなメンタルに問題を抱えていることを、認めた方がいい。
僕の場合、家事と育児と仕事の両立で苦しくなる時にだいたい鬱気味になる。
自分の思い通りに物事が動かせなくなる時、膨大な家事が重なると間違いなく、鬱る。
僕のいう鬱というのは多分病気の鬱とは違うかもしれない。
やる気が出ない、疲れが溜まってぬけない、眠れない、なんとなく気分がさえない、こういう症状の時にあえて、僕は「今鬱です」と宣言するようにしている。
宣言するのは自分へのブレーキとしての意味合いが強い。
大丈夫だ、と言い続けないこと、逃げることが大事な時もある。
自分を鬱認定することで、逃げる口実を作ることが大事だ。
「今は鬱だから、掃除はしません。パパのことが心配なら、自分でだしたものは自分でかたずけなさい」と家族(息子)に宣言するのも手だろう。
うん、これは結構、お互いにとって有益な方法だったりする。
対人関係の問題が一番ストレスになる。
いやな奴、高圧的な人間がいる場合、僕はまず、「こいつはあかんやつグループのメンバーだからしょうがない。
適当にしとけ」と自分に耳打ちする。
人間がストレスを感じる一番の理由は他人だ。これは間違いない。
他人が間違いなくストレスを持ち込んでくる。
しかもそういう人間は自分勝手で、組織主義者で、高圧的なのだ。
人権を無視してくる態度のでかい連中からは一目散に遠ざかるのが精神的にはいいのだけど、そうもいかないのが世の常。
仕事の場合は、即座にその手の連中をあかんやつグループに認定してしまえばいい。
認定した人間とはそういう付き合いだと割りきれば、ストレスは溜まり難くなる。
こういうやつとは仕事の上だけの付き合いだと割り切るのがベストだ。
職場を移ってもどこにでもこういうあかんやつグループ族はいるので、まず、認定が大事だ。
認定して、それなりに対処していくことが心の平安を掴むコツと言える。
僕はシングルファザーになりたくてなったわけじゃないので、ここが一番のストレスの原因であることは疑いようがない。でも、家族のことを思うと多少のことは我慢できる。
しかし、この我慢がよくない。仕事を思う存分したいけど、朝昼晩とごはんを作り、掃除洗濯をしたら、書かなければならない小説が書けないこともある。
(日記は30分で書けるけど、小説は10時間向き合っても一行も出ないことがある。
それが結局ストレスを生む)こういう時、僕は敢えて時間がないのはわかっていながら運動に逃避する。
毎日、走る。走っている時は何も考えない。スマホも見ない。
公園まで走り、そこで樹木を見上げ、気分を落ち着かせる。
これは本当に一番のストレス解消になる。そうすることで仕事がはかどることがある。
気分が変わればアイデアも浮かぶものだ。
鬱気味の時は夕食の後、仕事はしない。パソコンやスマホも夜は絶対に見ない。
主治医に言われたことがある。
寝る前にスマホを見ると、その光りが睡眠のリズムを狂わせるのだそうだ。
眠れない時には絶対に見ないようにする。
そして、僕と同じように鬱っぽい心と闘っている人が大勢いるのだから、自分だけが不条理なのではない、と自分に言い聞かせる。
ランニングしている時にすれちがう連中は仲間だと思って笑顔を向けたりする。
(ほとんど無視されるけど、たまに、おっさんが、手を振ってくれたりする)さて、今日もこれから走ることにする。10月のライブまでには肉体改造をやりきりたい。
鋼のような肉体を持つことが60歳の最初の目標でもある。
目標を持つことも心の健康を保つための一つの力強い道なのである。いざ。