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退屈日記「友だちと仲間の違い」 Posted on 2020/10/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝起きたら、アドリアン、ピエール、リサ、からワッツアップ・メッセージが入っていた。「げんきかぁ~」
午後になるとママ友のソフィ、イザベルから、次々「やっほー、サヴぁ?」と。
そして夕方、パトリックから「どうしてる? 君がいないパリはつまらんよ」という短文が届けられた。いやぁ、モテ期かなぁ。笑。
若い頃のぼくは、とくにECHOESやってた頃のぼくは「友だちの少ない」ことを売り(笑)にしてた。
嫌な奴だったし、かなりひねくれていた。
実際、孤独なお兄ちゃんを生きていた。
そういう歌ばっか歌っていたっけ。たしかに友だちは少なかった。

退屈日記「友だちと仲間の違い」



でも、最近、気が付いた。
仲間って仕事とか遊びとか何か同じ目標を持ってる連中のことだって。
友だちってのは一緒の方向を目指してない、何の共通の目的もない関係だって。
人によって違うだろうから決めつけたりはしないけど、ぼくにとって仲間と友だちの違いはそんなところか。
「仕事仲間」とか「音楽仲間」とは言うけど、「仕事友だち」とか「音楽友だち」って言わないもんね。

退屈日記「友だちと仲間の違い」



友だちをビジネスの関係にしちゃだめだって決めてから、むしろ友だちが増えた気がする。
昔、仕事仲間を友だちだと思っていた。
だから、仕事がうまくいかなくなると、裏切られた気になって落ち込むことがよくあった。
今思うと、混同してた。
目標を共有しない人のことを、友だちとしてから、けっこう楽になった。
こいつとは友だちだから、損得の仕事はしない、と絶対自分に言い聞かせるようになった。
これは守ってる。
仕事を一緒にやる連中は仲間と呼んでいる。
そしたら、友だち関係が穏やかになったよ。
友だち多けりゃいいのかよ、と昔のぼくだったら難癖付けてきたかもしれない。
今は堂々と言いたい。
いい友達が大勢いると死なないですむ、とね。
ぼくは今、きっと友だちに生かされているのだと思う。
「ツジー、早く帰って来いよ。コロナが寂しがってるぞ」とピエール。
ピエールを友だちと呼んでいいのか、分からないけど、あいつに生かされてるな、と思う瞬間も確かにある。
ぼくが辛い時、黙って横でビール飲んでるし、笑。

そしたら、今日、同じタイミングで、昔の友だちからメールが、本当に25年ぶりくらいに飛び込んできた。
「日本で隔離中なんだってね。なんかで読んだ。お前の記憶の底で、まだ俺生きてるかね?なんか、あの頃、辻と喧嘩ばかりしてたけど、今思うと俺たち仲良かったんじゃね? どうでもいいことだろうけど、隔離生活頑張れや。またな。過去の思い出から、ご機嫌伺い。S」

退屈日記「友だちと仲間の違い」



まだ返事返してないけど、こいつとつかみ合いの喧嘩やったこともあった。
意見が合わなくて、理屈っぽくて、顔合わせると言い合いしていたけど、確かに、強烈なインパクトと共にまだぼくの中にまだいる。
Sはもしかすると友だちなのかもしれない。
あの当時のぼくらは若すぎて馬が合わなかっただけかもしれない。
もしかしたら、今だったら、やあやあ、懐かしいなぁ、おい、と肩を叩きあえるかも。
そういう人、やっぱ、友だちなんだと思う。
ぼくは間口が少し広くなったのかな、たんに、歳ってことかもしれないけど…。
死にたくなる時はだれにでもあるので、ぼくはそういう時がきたら、きっと友だちにSOSを送る。
助けを求めるんじゃなくて、思い出に頼るため…。



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