JINSEI STORIES
自主隔離日記「SOSの電話をかけてきた息子と向き合う」 Posted on 2020/10/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、夕食でも食べようかな、と思ってキッチンにいたら、不意に携帯が鳴りだした。誰からだろうと覗くと息子からだった。
これは本当に珍しいことだった。
親友のアンナの母校の先生が18歳のテロリストに首を切り落とされた事件、だんだんわかってきたことがあり、胸を痛めていた。
先生はアンナの家からすぐ目と鼻の先の路上で殺されたのだ。
ショックを受けているだろう息子からの、これはいわばSOSの電話であろう。
頼られたことは嬉しかったが、どう、彼と向き合うべきか悩みながら、携帯を掴んだ。
「お前が今しなければならないことは、彼女らの心の支えになることだよ」
「うん」
「そのためには君が誰よりもしっかりとしなきゃだめだ。わかるかい」
「うん」
返事なんかしない子が返事をしてくる。
ショックを受けているのが分かった。
ぼくは椅子に座り、少し時間をかけて彼の気持ちと向き合うことにした。
簡単に言葉は続かない。
でも、励ますというのじゃなく、彼にやるべきことを与えるのがいいと思い、アンナのことを二人で考えよう、と伝えた。
「うん」
「アンナの妹たちはまだ小さい、あの子たちの支えにならないといけない」
「一番下の子がね、シルヴィというんだけど、先生が殺される直前に校門でお別れの挨拶をしてるんだよ。あの子のことが一番心配だ」
一瞬、その場面を想像してしまい、息をのんだ。
「そうだね、どうやって寄り添ってあげられるか、一緒に考えなきゃいけない」
言葉が続かなかった。ぼくらは数分黙りあった。
※事件の起きた学校前には大勢の市民が集まって、亡くなった教師を追悼している。
学校を出た教師は18歳のチェチェン人の若者に首を切り落とされ殺害された。犯人は「アラーアクバル(偉大なる神)」と叫びながら警察に射殺されている。亡くなった教師は先週、授業で風刺画雑誌シャルリーエブドが掲載したイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を生徒にみせた。教師は風刺画を生徒に見せる前に、イスラム教徒の子供たちにショックを与えぬよう、「傷つけたくないので見ないように」と促した。
事件の背景にあることを少し、ぼくのわかる範囲で補足しておきたい。
10月初めからこの授業のことで、そのクラスにいたイスラム系生徒の親が学校に抗議をしていた。
その後、その親がSNS上でこの先生の行動を非難するビデオを投稿、先生の名前、中学校の名前が世の中に晒されることになる。
教師は子供たちの証言によると、教室から出なさい、とは言っておらず、イスラム教の子はショックを受けないよう見ないように後ろを見て、と言っただけ、とのことだった。
その後、退出を求められたと主張する生徒自身も、SNS上に「これはマクロン大統領の責任である」という内容のビデオを投稿していた。
現在、この子の父親とその関係者が事件に関与した疑いがあるとして、警察に逮捕されている。
事実は今後明るみ出るだろうから、ここでのコメントは避けたい。
ぼくはこの問題を避けるべきではないと思ったので、息子の意見を聞く形で少しディスカッションをした。
ぼくらはいろいろなこと、問題について話し合った。
「パパ、フランスではショックなことも学ぶ。ぼくは大体毎日ショックを受けているんだ。それがフランスの教育のやり方なんだよ」
息子はこのようなことを言いだした。
「この国では、戦争についても、テロについても、その背景を細かく説明した上で、だから事実がこうです、と教える。それは生徒にとっては辛いことが多い。日本の戦争のこともキチンと教わった。ぼくが思うに、亡くなった歴史の先生がおこなったことは、ぼくの学校でも普通に行われる授業の一コマにすぎない。断じて言えることだけど、イスラム教を排除しようとした人物ではない。教師たちはナチスドイツの残虐なユダヤ人虐殺についても、私情を交えず、事実として事細かに教える。そういう絵や写真も見せられる。ショックを受けるけど、ぼくらはそうやって世の中が今こうしてある背景を学んでいるんだ。そのあと、それについて決めて行くのは個人の問題になる」
息子は興奮せず、淡々と語っていた。ぼくは小さく相槌を打った。
ぼくと息子はフランス語と日本語を交えながら会話をしたので、このような流暢なことが一気に語り合えたわけではないけれど、彼の意見はだいたいこのような内容であった。
事件後、イスラム教徒を批判した友人に、冷静になるよう、息子は促したという。
すべてを一緒くたにしてはいけない、とその子と議論を繰り返しているとのことであった。
「ぼくがそういう教育の中で学んだことは、何かを批判する時、まずはそのことの背景を知らないといけないってことだよ。国によって教育方針はぜんぜん違うと思うけど、いまだ多くの国の教育は臭いものには蓋をする。ある意味、無難なものが多い。フランスの教育はちょっと違う。そこに至った背景を細かく勉強し、それが招いた結果について、議論しあう。それぞれがそれについて真剣に考え、同じ間違いをしないよう学んでいく。あの先生がやったことは、これまでのフランスやり方を踏襲するもので、教師は宗教を侮辱したわけでもないし、表現の自由を擁護したわけじゃない、とぼくは理解できている。それでも、自分が正しいと思う人はそういう教育方針に不満を持つ」
「なるほど、よくわかったよ。パパの頭の中で整理しておくね」
「お前は大丈夫か?」
数秒、息子は黙った。
「パパ、ぼくはいつだって、大丈夫だよ」
「よかった。安心をしたよ。弁護士を目指すなら、この事件について向き合っていくべきだろう」
「分かってる」
「じゃあ、今はアンナを支えなさい」
一瞬、息子がはなをすすった。まだ、16歳なのだ。当然だと思った。ぼくだって泣きたくなる。でも、乗り越えて行くしかない。
「パパ、アンナから訊いたんだけど、その先生は差別をしない、誰にでも優しい先生だったって。みんなに声をかけて、みんなを励ますいい先生だった。それがね、とっても悲しい」
©️Hitonari TSUJI
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