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退屈日記「人間は大海に浮かぶ小舟のごとし」 Posted on 2020/10/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは自分が辛い時には、一切情報に触れないようにする。
耳を塞ぐというわけだ。
テレビもネットも携帯もツイッターも一切見ない。
半月に一度はそういう日、もしくは時間帯を、必ず設けるようにしている。
積極的に情報を集めない日を自分の精神の健康のために用意しておくことは、大事なこと。正直、人間は情報過多なのだ。
そんなに情報を持ってどうする?
情報がないと生き残れないと思ってる人が多いが、むしろ今は逆で、情報を持ちすぎて苦しくなるということもある。
少し前に芸能人が相次いでお亡くなりになった。
その理由を追求して何になる。
感情移入しすぎると辛くならないだろうか? 
情報を集めすぎても一生、情報に支配されないのも一生だ。
もちろん、必要なことは知っておく必要があるけれど、大事なことは相対的に世界を知ることだったりする。
なんでもかんでも情報を摂取するのではなく、自分が生きて行く上で必要なところから、最低限の情報をもらい、人生に役立てればいい、くらいの気持ちで十分じゃないか。
頭の中をニュース番組みたいにしている意味はない。
何もできなくなっていることに気づくべきだ。



そもそも人間はそんなに強くない。
自分は大海の小舟だと思うといい。
決してタンカーや軍艦じゃないでしょう。
人間はみんな小舟に乗って現世海を航行しているので、嵐や横波に遭遇することは結構ある。
そういう時には自分が沈没しないようにするのが精一杯だ。
小舟にしっかりとしがみつけ。
人間はまず、それでいい。
そこを批判されても人間は神様じゃないのだから、海全体を考えることは出来ない。
たとえ考えても嵐や横波から身を守るので精一杯じゃないか。
自分が乗っている船をまず必死で守ろう。
嵐が遠ざかり、晴れ間が見えたら周辺の仲間たちと笑顔で向きあえばいい。

退屈日記「人間は大海に浮かぶ小舟のごとし」



これは自分の人生にも置き換えることが出来る。
会社や組織や仲間たちのグループを抜けたいけど、抜けられない時に、自分は小舟に乗っているんだ、と言い聞かせる。
組織は補填が聞くけど、君は自分で自分を守るしかないのだ。
これ以上、この海域にいては危険だという判断はある意味正しい。
恩があるならばまだしも、使われるだけ酷使されて抜けたいのに抜けられないのは相手の都合である。
都合のいい人になる必要はない。
自分勝手だと罵られるかもしれない。
でも、小舟に乗ってる者はそこに自分の命が、もしくは家族の命まで預かってるということを思い出す必要がある。
小舟が沈まないように頑張るのが最優先である。
まず、狭い範囲の自分を優先する。

退屈日記「人間は大海に浮かぶ小舟のごとし」



人間は「海のような大きな存在になりたい」と思う。
思うことは大事で、その通りだ。
ぼくも海を見に行くのが大好きだ。
でも、なぜ、ぼくが海を見に行くのか、というと自分が小さな存在だということを知っているからである。
海を見に行くのは、心を開くためじゃない。
自分は小舟に乗った小さな存在なのだから、許されに行くのである。
小さな優しさ、小さな人間らしさ、小さな人生を、海を通して悟り、そこに海があることのすばらしさを知ればいい。
ぼくは海を離れる時、ありがとう、といつも感謝をしている。

退屈日記「人間は大海に浮かぶ小舟のごとし」



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