JINSEI STORIES
第六感日記「この世界と重なる霊界との長い交流」 Posted on 2020/10/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくは信仰がないのだけど、という話しはずいぶんとしてきた。
最近はコロナ禍で日本にほとんど戻れないのだけれど、ここ数年、日本に戻るたびに利用させていただいている定宿がある。ギターとか、大きな荷物などを倉庫に、少しおかせて頂いている。
でも、この宿と和解できたのは一昨年の夏くらいからで、それまではちょっと大変だった。
一度、数名の気配に覗き込まれたことがあった。
多分、武家の人だと思うのだけど、穏やかな死に方をされていないのか、その視線には物悲しいものがあり、こちらも悲しくなった。
最初にお断りしておくと、ぼくは幽霊を怖いと思ったことがない。
もとは人間に宿っていた魂。
成仏できない何か悲しい出来事があって彷徨っているのでしょうから、
「もうあなたはそんなに苦しまないでいいんですよ。どうぞ、成仏なさってください」
と告げる。
そうすると、だいたいの霊は分かってくれて、すっと、いなくなるのだ。
霊魂をいると表現していいのかは分からないけど、霊魂が理解するというのも変な言い方だけど、自分以外の何か気配というものを感じる。
見たことはないのだけど、感じる。
見えないように何ものかがぼくを守ってくれているのだ、という気もする。
ぼくも見ようとはしない。
邪魔しないことが大事だけど、たぶん、ぼくが感じやすいのが分かるのか、ぼくに近づいてくる霊魂がここには結構いる。
この辺の歴史的なことを調べたことがないけれど、たぶん、古戦場だったり、何か生死にかかわっていた特別な場所に近いような気がする。
京都の定宿でも同じような現象を覚えたので、調べたらそこは戦争の時代に人体を研究する機関があった。
でも、今の宿で危害を加えられたのは最初の一度だけで、その時は半年ほど別の宿に移ったのだけど、再び戻るようになってからは、ぼくが敵ではないと分かってもらえたのか、むしろ守ってくれているような気がする。
ここ数回は、気配は感じるけど植物のような優しい気配で、ぼくは安心して微笑むことが出来るようになった。
眠りも、パリよりもぐっすりと眠れる。
夢が荒らされることもなくなったし、それを和解と呼んでいいのか分からないけど、認めて貰えたのかな、と思っている。
たぶん、ぼくのことを分かってくれたのだろう。
最近は寂しいくらいに出てこない。
ここの住人の方々はたぶん、皆さん、この土地の霊に守られているのだろうと思った。
実際、いい場所なのである。
日本はそういう土地の力が強い気がする。
霊ってどういうものなんですか、と訊かれることがある。
どういうものなんだろう。
見たことがないので、分からないけど、現世界と霊界は重なっていると、ある日、気がついた。
だから、普通は見ようと思っても見えないのだけど、重なっているのでいるのはわかる。
まず第一に気配が凄い。
何も意識していないのに、不意に後頭部や首筋などに寒気と共に鳥肌が走る。
べったりといるのが分かるのだけど、相手にしないでおくといなくなるものがほとんど。
でも、あまりに強いので、振り返ることもある。
だいたいそういう時は鏡がある。
南無阿弥陀仏と唱えるとだいたいは離れてくれる。
これが厄介なのは情念の塊のような気配で、それを霊と言っていいのか分からないのだけど、その時はもう全身にざわざわという気配に包囲されてしまうので、目を閉じて、その寒気がなくなるのを待つ。
下手に逃げたり怖がるのはよくない。
こういうのは感じない方がいい、と言われている。
鈍感なのじゃなく、何かに守られていると思ったらいいと思う。
怖いことじゃない、とぼくが思える人間だから、近寄ってくるというのもあるのだろうな、と思う。
「恨みや悲しみをずっと持ち続けないで、楽になってください。もう、あなたは亡くなられているのだから、成仏してください。極楽にいっていいんですよ」
極楽などというものがあるのかわからないけど、そう告げると、多分、少しためらってから、旅立ってくださる。
もしくは残るのだけど、もう、ぼくには近づかなくなる。
朝になると、その宿にも太陽が差してきて、夜の時とはまったく違う光りに包み込まれる。
ぼくは窓をあけて、部屋の空気を入れ替える。
自分の中を流れていく穏やかな現世の空気を感じる。
この星のサイズを想像し、まばゆい太陽の光りを瞼の裏で感じる。
それが生きるということだと思いながら…。