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滞仏日記「思春期の息子に、悩みを打ち明けられ、おっと、父ちゃんの出番だ」 Posted on 2020/10/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、珍しく息子が仕事場に顔を出し、
「パパ、悩みがあるんだけど、ちょっと聞いて貰ってもいい?」
と訊いてきた。
「何?」
仕事を一度やめて、息子を振り返った。
「身長が伸びなくなった。去年から5ミリしか伸びてない。ぼくは学年一、背が高かったのに、夏休みが終わって学校に戻ったら、下から数えた方が早いくらい小さくなっていた」
「急に? ティボとかシモンとか、子供みたいだったじゃん」
「あいつら、もう、ぼくより大きいよ。やっぱフランス人は16歳くらいから伸び出して、日本人は16歳で成長が止まるのかもしれない」
「そんなことあるかよ。努力すれば20歳まではぐんぐん伸びるって。それに、君は175㎝もあるんだから、もう十分でしょ?」
「でも、女子もぼくより大きいんだ。それで、めっちゃ悩んでる」
「だったら、小魚、肉、を食べなきゃ。牛乳も飲まなきゃ」
実はうちの子、最近、肉嫌いになり、魚ばかり食べている。頭でっかちなので、肉食であることへの抵抗を感じているようだ。
背が伸びたいと言いながらも、ダイエットをしたり、偏食したり、…言ってる意味がわからない。
「あと、5㎝は伸びたい」
「贅沢な悩みだ。じゃあ、パパはどうなるんだよ」
「パパはもう還暦超えなんだから、別に小さくっても構わないでしょ?」
カッチーーーーーン。



「あとね、抜け毛が凄いんだ。心配で眠れない。なんか、後頭部がすーすーしてる気がする」
ぼくは立ち上がり、頭を垂れた息子の頭をチェックするが、ぼくよりふさふさだった。ってか、息子が何に悩んでいるのか、本当に、分からない。
「問題ないけど、普通じゃないの?」
「いや、問題あるよ。トマとかロマンに毛が薄くなったって言われた」
「バカじゃないの? 金髪の子たちは地肌と髪の毛が同系色だから、実際はお前よりもっと薄いんだよ。君は黒髪で剛毛だから地肌がくっきり見えてしまう。そう感じているだけで、全く気にする必要なし」
「トルコに行きたいんだ」
「トルコ? なんで?」
「植毛の技術が凄いらしい」
ぼくは笑い出した。



というのも、自分が高校生の頃、同じような悩みを抱えていたからだった。
それで、ぼくは頭髪の薄い父親に食って掛かって、遺伝したらパパのせいだからね、と文句を言っていたのである。
若かった頃の自分にとって、身長とか髪型は進学や成績よりも重要案件であった。
息子を仕事場のソファに座らせ、その時のことを話して聞かせた。
「見て見ろ、パパの髪の毛、61だけど、まだ染めてないし、抜けてもいない。たしかに、白髪がちょろっと増えてきたけど、でも、全然大丈夫だろ?」
「パパは歳だからもう逃げ切れる。パパのことなんか誰も見てないし」
カッチーーーーーン。



「でも、ぼくはこれから恋愛をしなきゃならないのに、背が足りなかったり、髪の毛が薄いと死活問題じゃない? これ、切実なんだよ」
「バカか。ご先祖様に申し訳ないこと言うな。ジジが草葉の陰で悲しんでるぞ」
息子はシュンとうなだれてしまった。
でも、思春期特有の悩みだから、これでいいのだ、とぼくは思った。
この子はちょっと頭でっかちで、大人びた子供であった。
いつも、悲しくても辛くても、ぐっと我慢する子だった。
今まで一度も駄々をこねたことがない。ダメだよ、というと我慢をする。
辛いなら、泣けばいい、と言ったこともある。
でも、息子が泣いたのは、これまで僅かに1、2回。悲しいこともあっただろうに、涙そのものをぼくに見せたことがない。
だから、心配していたのだ。しかし、今日、身長とか毛髪のことで悩みを抱えていたことがわかり、ぼくはにわかに嬉しくなった。
これはとっても普通なことだ。



「でも、パパ。もひとつ、悩んでいることがあるんだよ」
「まだ、あるのか?」
「うん、昨日、お昼にチャーハンを作って食べたんだけど、まったく美味しくなかった。それで、よければ、チャーハンの美味しい作り方、教えてもらいたい」
「え? お安い御用だよ。じゃあ、今からやるか」
「うん」
ということで、ぼくらはそのままキッチンに行き、ぼくは息子に世界一美味しいチャーハンの作り方を教えてやることになった。



ぼくらは冷蔵庫を覗いて材料を一緒に探した。
肉が切れていたけれど、冷凍庫に海老があった。野菜室にネギがあった。玉ねぎやニンニク、卵などをずらっと並べた。
息子が拵えたチャーハンの手順を確認したら、塩加減、味付けがイマイチだった。
なるほど、それじゃあ、美味しくないのは当たり前だ。大事なのは塩加減、人生と一緒で、塩を振るタイミングが大事なんだ。
ガスコンロの火をつけ、フライパンを置き、油をひき、まず半熟の卵焼きを作って脇においた。
油を多めに足し、潰したニンニクと唐辛子に香りを移した。
背ワタを除去した海老を細切れにし、小さくカットした玉ねぎ、千切りのネギと一緒にフライパンに放りこんだ。
火が通り、エビが赤くなったら、ご飯を入れ、パラパラになるまで炒めたところで、ミョクナム、醤油、昆布茶、鶏ガラスープのパウダー、塩胡椒、を入れて味付けをした。
火加減見ながら上手に混ぜ、置いていた卵を戻して強火にし、ごま油を少々絡めて火を止めた。
お皿に盛って完成である。
昨日の残りの枝豆があったので、色味として、添えてみた。スプーンで掬って食べた息子が満面の笑みを浮かべ、美味い、と唸った。
順調に育っているようだ。めでたし。

滞仏日記「思春期の息子に、悩みを打ち明けられ、おっと、父ちゃんの出番だ」

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