JINSEI STORIES
退屈日記「雑感。現代の不安を拭い去るために」 Posted on 2020/10/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、アメリカの大統領選挙が近づくにつれ、世界は経験したことのない状況に巻き込まれるかもしれないという、不条理な不安が立ち込め始めた。
予想通りのことだけど、予想通りになってもらっては困る事態である。
そして、コロナウイルスによって命を落とされる人がなくならない一方で、感染は拡大を続けているわけだけど、もはや世界中の人々はこの感染症への恐怖を忘れつつあり、とくに若い世代はあまり重症化しないことが分かって来て、高齢者との間に考え方の溝が深まっている。
いろいろな分断が世界では起きていて、来月何が起こるのか、まったく読めない状況になった。
逆を言えば何が起きてもおかしくない、ある意味で、もう一つの冷戦期に突入している、ということができるかもしれない。
まともに世界を眺めている人間は不安に襲われるものだ。
「ちゃらちゃら遊んで物事を考えない人間がいるせいでこの世界が終わりに向かっている」と悲観的になりがちだけれど、そういう思考もある意味精神世界の分断の一因によるものだ、と思うべきかもしれない。
じゃあ、どうするのか?
先のエッセイ集でも書いたし、この日記でも、ロックダウンの頃から言い続けていることだが、ぼくらは広い視野で世界の成り行きを見守りつつも、まず、自分の生活を大事にするということに尽きる。
自分と家族のことを大切に思って、これまで以上に、日々を充実して生きること。
世界が転んだとしても、自分を保ち、毎日の生活、買い物や家事や料理や会話や笑顔や仕事や運動や睡眠をしっかりとやり続けること、である。
世界中の人々が自分を大切にし、このような時代であろうと揺らがず生き続ければ、冷静な日常からの判断をとることができ、それは同時に、最強のスクラムを形成する。
主義やイデオロギーなどに振り回されず、まずは自分とその周辺の家族や友人らとの生活へ目を向けていくことで、不安は払しょくされる。
その個人レベルの目に見えないスクラムが結果的に世界の危機から人類を守ることに繋がる気がする。
大国が自国の利益のためにふいに戦争を始めるかもしれない、このような時代に、ぼくら人間に出来ることは自分の居場所で頑張ることだ。
コロナウイルスの毒性についてまだ研究過程だけれど、世界中から配信されるニュースを読んでいる限り、暴力が増えた気がするのは、コロナの中に人間の精神を攻撃的に変える何か恐ろしい毒性があるのかもしれない、と思うようになった。
実際はそんなことはないだろうが、かつてなかった感染症のパンデミックが人類の精神を少しずつおかしていることはたしかであろう。
その攻撃から身を守るために必要なことは家族や気の合う友人たちとの温もりである。
だから、ぼくは息子や自分自身のために美味しいご飯を日々作っている。
昨日は息子のために、お稲荷さんとカレーうどんを拵えた。
(いつもながら作り過ぎてしまい、怒られたけど、おいなりさんは作り立てより翌日がうまいのだ、と教えてやった。もちろん、これから残りをランチでいただく)
息子に作り方を伝授し、彼がその技をいつか、彼の子供たちに教えるだろうと想像しながら、教えることは、ぼくの精神を保つ、さらに、ぼくはぼくの役目を喜ぶことも出来る。
それはニコラやマノン、アシュバルやフィリピンなど、自分の子供じゃない近所の子供たちへ向けるまなざしと何ら変わらない。
少し長く生きた人間の使命だと思って、毎日をきちんきちんと生きていく。
はじめて自分の直接的な大切な知人がコロナでこの世から離れた今、ますます人間が不安を払拭するためにやるべき大事なことは、自分や家族や身近な人々としっかり繋がるための愛なのである。