JINSEI STORIES
リサイクル日記「パリジャンが好むアパルトマンのインテリア」 Posted on 2022/08/27 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリジャンのインテリアのセンスは実は彼らのファッションセンスよりもずっと上だと思う。
どの家に招かれても、本当にその人の生き方がきちんと表現されていて、楽しいし、興味深いし、芸術的だし、勉強になる。へー、こういうアパルトマンに住んでみたいなぁ、とどこの家に招かれても、だいたいため息がこぼれてしまうのだ。
一部屋一部屋にその人の喜びや幸せや歩いてきた道のりがきちんと見えるのだ。
家具の選び方も、壁紙の色合いも、テーブルの上の置物まで、とにかく微に入り細に入り、素敵で言葉が敵わない。
パリジャン、パリジェンヌはおしゃれだけれども、ミラネーゼに比べればうんと地味なのだけど、いやぁ、これがことインテリアになると、ミラネーゼの重厚な美意識とは違って、ゆったりとしていて、謙虚で、ささやかにおしゃれで、ゆるぎない主張があって素晴らしい。
真似できない。
自分に決定的にないものがその美的センスだな、といつも招かれるたびに感じてしまう。
窓と外の風景との関係だけでも、すでに一つのアートになっている。
見える世界がそもそもセンスがいいので、こういうことが出来るのだと思うけれど、そこで暮らしている人がいつも見ている世界が、来客者であるぼくを魅了するのだ。
そういう質の深い暮らし、ぼくも憧れるのだけど、それはその人が何を見て、何に感動をして、何を収集して、どう生きたかが出るものなのだな、と改めて思わされる。
パリには家があまりないので、アパルトマンという建物の中の家なのだけど、その空間が本当にどこも一軒一軒ぜんぜん異なっていて、ドアを開けて入るたび、わー、と声が零れてしまう、そのバリエーションの幅広さも特筆すべき点であろう。
ぼくはオランダまで探しに行くくらいの椅子フェチなのだけど、(かなり集めた)、しかし、パリジャンの家の椅子は本当にその人そのものを現すほどに人間味が溢れていて、どこでこれ見つけたの、と毎回驚くばかり。
みなさん、骨董市などで探したり、骨董屋を回ったり、古い親戚の家から持ってきたり、いろいろなのだろうが、本当にいいものを見極める力と労力が凄い。
老夫婦が二人で椅子を運んでいるところに出くわしたことがあったけど、その椅子が見事だった。あの乾いた木の美しいカーヴにぼくはすれ違いざまにため息をついてしまったのだ。
それから天窓とかサンテラスとか、光りを取り入れることへの寛容さに感動をしてしまう。知り合いの家の中央にあった階段とその上に広がる天窓との関係に眩暈を覚えた。
ぼくはそこで猫になりたい、と思った。
壁にかかっている一枚の絵のなんとも押しつけがましくないアート感にも心をくすぐられた。
暮らしって、本当に大事で、ぼくは今、自分の終の棲家を探しているので、どうしても、家具とか壁紙とか、いわゆるインテリアに目が行ってしまう。
そもそもぼくはコロナ禍になるずっと前から、出歩かない家派人間なので、暮らしを大切に、暮らし周りに心を配って来た。
それでも、パリジャンのインテリアセンスには脱帽なのだ。
インテリア雑誌の数倍上を行く、各人のインテリアのセンスは昨日今日磨いて出来あがったものじゃない。
何世代も前から受け継がれてきたちょっとした家具がその中心に置かれていて、そこに座っていたであろう曽祖父の体躯までが想像できる、暮らし。
ぼくは20年前にフランスに渡ってきたので、歴史が浅く、及びもしないけれど、自分が愛する家具はぼくの血を受け継ぐものたちに分け与えたいと思って、今を生きている。
暮らしはその人を現す。