JINSEI STORIES
退屈日記「持つべきものは気の合う人間である」 Posted on 2020/09/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ダイソンの掃除機買ったばかりなのに壊れて、家電会社に送ったら、一か月もほったらかしにされたあげく、補償期間なのにバッテリーは補償外なので、対応できない、という連絡が少し前にあり、なんで一月もほっとくんですか、と言ったら、ごめん、と謝られて、車の時と同じだ、と思い、ここで揉めると、さすがにメンタル落ちるわーと思ったので、その家電メーカーではもう買わないことにして、じゃあ、もういいです、と電話を切った。
そしたら、今朝、宅急便で壊れた掃除機が送り返されてきたのだけど、どうしろっていうのか、と腹が立った。
フランスのこういう対応、20年近く住んでいて、もう慣れたけど、人間が強くなるね。
日本の顧客サーヴィスが懐かしいわ。
車が壊れたり、家が壊れたり、掃除機が壊れたりして、こういう日常の小さな変化でさえも、自分の精神に与える影響は計り知れないものがあるので、最近は、家事に情熱を燃やせなくなった。
情熱というのはおかしな言い方だけど、掃除機がないのに、片付けなんかできるか。
ということで、そのまま、なんとなく家事全体が滞っている。
インスタに料理の写真がアップされない理由は明らかにやる気が起きないせいなのだ。
それでも、日常は動いていて、食べないわけにはいかない。
そこで頑張っているのが息子君16歳である。
やはり若いというのは素晴らしい。
ぼくがぐうたらしていると、キッチンでなんか作っている。月曜、火曜、金曜は給食を食べずに家で自分で作って食べるのだけど、冷蔵庫を漁って料理している姿は頼もしい。
ぼくはもう何もやらないでいい。
朝も自分で起きて朝ごはんを食べて時間通りに出て行く。
買い物も、水とかジュースとかパンとかそういうものなら、買いに行ってくれる。
昨日はぜんぜんパワーが出なかったので、ひき肉を炒めて、メキシカンのタコスを作ってくれた。
これが実に美味かった。レシピはYouTubeで学んだ、とのこと。
「パパはちょっと、調子が出ないんだ。もうすぐ復活するから、頼む」
「うん、大丈夫だよ。寝ていて」
こういうやりとりが出来るようになって、ほんと楽になった。
人間って、支えられて生きていく生き物でいいのじゃないか、と思う。
誰かに頼っていいんだと思う。
頼られたら、支えてあげればいいのだ。
それが人間だからだ。なので、身近の人をまず大事にしたらいい。
家族、親とか、子供とか、そして、仲良しの友人とか、町内会の人とか、…。
人間なので、調子の出ない時があるのは、当たり前だ。
あまり深刻になっちゃいけない。ぐうたらぐうたら、でよい。
そういう時は話しが出来る人が重要になる。ちょっと精神的に変だな、と思う時はとにかく誰か気の合う人と話すのがいい。そうすると、心が落ち着いてくる。
「ちょっとお茶でもせえへん?」
べたべたする関係ではないけど、日本人の友人に連絡したら、ええよ、と戻ってきた。
四国の男で、仲良しじゃないけど、落ち着く男なのだ。
カフェで待ち合わせ、最近、どうなん、と話しをはじめた。
日本語って素晴らしい。
いやあ、日本人のおっさん、和む。
もう、ぼくなんか、それだけで元気になる。
コロナ禍のフランスで掃除機や車や古いアパルトマンとか頑固な大家にやられ、その上シングルで子育てに追われ大変でフランス語で文句を言い続けてきたから、フランス語が嫌いになってきた。元々苦手だけど…。
日本人と日本語でどうでもいいことを話すと和んだ。この人と話す時、ぼくは関西弁もどきで話す。
彼もどっちかいうと関西弁に近いアクセントがある。
「どうなん?」
「ぼちぼちやね。あれ、コロナやから」
「そうやね、ゆっくり行こか。焦ってもしゃーないし」
「そうやね。で、そっちはどうなの?」
「まあまあやね」
「今はしゃーないな。あはは」
二人は笑う。中年二人がカフェのテラス席で、こういうやりとりしているのだけど、ささくれ立っていた心が和らぐ。
ぼくの偽関西弁は関西の人に失礼だというのはわかってるんだけど、フランス人にはどうせわからないから、いいでしょ?
四国の男のアクセントもいいんだ。四万十川の懐かしい情景が目に浮かんだ。
思えば遠くへ来たもんだな、と思いながら、エスプレッソで小一時間、暇をつぶし、英気を養った。
「じゃ、また」
「どうも」
野郎同士というのもなかなかにいいものである。持つべきものは呼んだら会いに着てくれる人間である。