JINSEI STORIES
滞仏日記「テロがあった夜に、女性だけの夜会に招かれ、人間に出会った」 Posted on 2020/09/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、コロナでさえ大変なのに今日はテロがあり慌ただしかった。
右岸のバスティーユ周辺の3区と4区、11区が警戒地区になったが、今、ぼくらの新しいアパルトマンはそこと川を挟んで対岸…。
テロリストが警戒網を潜り抜け、左岸側に渡っていたら、と考えるとゾっとした。
マノンが通う中学校が5区にあるので、彼女のお父さんから、心配メールが届いた。
気持ちはわかるので、何かあれば近いから自分が出動するよ、と伝えて安心をさせた。
でも思ったよりも早く犯人が拘束されたので、ぼくの出番はなかった。
ほんと、どこの世界も安全というのは簡単に手に入らなくなった。
若い頃とは比較にならないほど、今の世界は危険が満載過ぎる。
地震、雷、火事おやじ、台風にテロとコロナまで、…。
夜、カフェで、弁護士のソフィと待ち合わせた。彼女の家はセーヌの川中、シテ島にあり、新しいアパルトマンから歩いて10分という距離だった。
引っ越し祝いをやりたいというので呼び出された。すると、ソフィが
「ヒトナリ、よければ、この近くのホテルで女子会があるのだけど、来ない。実は引っ張り出そうと思ってやってきたのよ」
と誘われてしまう。
え? 今から、この恰好で? ぼくは全身黒の服装だった。
ソフィが月一主宰するソワレ(夜会)は女性だけの夜会…。
ソフィとは仲良しだから、前から誘われていたけど、ぼくは冷やかしで行きたくないので参加したことが一度もなかった。
「なんで、今夜か、というとね。明日の夜からパリのバー・レストランは22時以降、閉店になるの。10人以上の集会が禁止。だから、ソフィの夜会もこれが最後。知ってるでしょ? 政府が決めたのよ。それに今日は4つ星ホテルのラウンジでの集いだから、全員マスク着用だし、ソーシャルディスタンスも保っているし、心配はいらない。私たちの会は、みんな大人しいし、踊ったりしないから、安心なのよ。どう?」
「うん、そうだね、じゃあ、ちょっと顔出すよ」
ということで、断り切れず、4つ星ホテルへ行くことになった。
ちょっとびっくりな展開である。
行っていいのかな、と悩みながらも、作家だから好奇心もある。
前に一度、やはり友だちの女性が二丁目の男子禁制のクラブに連れて行ってくれたことがあった。なぜか、ぼくはウエルカムで、皆さんと仲良くなった。
なんで、ぼくはいいんですか、と訊いたら、辻さんだからですよ、という返事だった。嬉しかった。
ということで、二回目の、しかもフランスでの女性たちのソワレ、夜会であった。テロの日の夜に。
ホテルは格式のある立派なホテルで、ラウンジは結構広かった。中庭のような場所がテラス席になっていて、ずらっとテーブルと椅子が並んでいる。
女性たちがカクテルなどを飲みながら、談笑していた。
ぼくがソフィに連れられてそこに顔を出すと、やはり、一応全員が身構えた。
ソフィが「私の古くからの友人のムッシュ・ツジ。彼は作家でミュージシャンなの。今日は皆さんに紹介したかったので、お連れしました」と紹介してくれたのだ。
「こんばんは、お招き嬉しく思います。ツジーです」
ほとんどの人たちが40代後半から50代後半の女性だったけれど、中に一人、アジア人の若い女性がいた。
その子がずっとぼくを見ていたので、日本人かな、とちょっとドキドキしていたら、韓国人だった。
もっとも養子でフランスにやって来て、こっちで育ったため、韓国語は喋ることが出来ない。その子がやたら、ぼくに話しかけてきた。
一人、浮いていたので、その子と話すのは気分転換になった。実は、やっぱり居場所がなくて、一杯飲んだら帰ろうと思っていたのである。
「私はずっと自分を探しているの、自分の国のことも知らないし、お父さんとお母さんと私は皮膚の色が違うし、気が付いたら自分は世の中の流れとは違うところにいて、でも、そしたら、この人たちと出会って、仲良くなって、ここ、自分らしくいられると思ったの」
ほとんど一方的に彼女の独白が続いて、その話をぼくだけじゃなく、数人が一緒に訊くことになった。
誰かが、マリーン、あなたは旅をしているのよ、と言った。そしたら、別の誰かが、いつかどこかに辿り着くわよ、と言った。
その言い方が素敵だな、と思った。だから、ぼくは微笑んでいた。
「ツジーはどんな小説を書いているの? 実は私は作家になりたいのよ」
マリーンと呼ばれた子が目をキラキラと輝かせていった。
「そうなんだ。でも、なんで?」
「なんでだろう。自分がここで生きていることを誰かに読んでもらいたい。私が作った物語をみんなに読ませたい。あ、ツジーはなんで作家になったの?」
「ぼくはね、言葉が好きだし、物語が大好きなんだ。空想が大好きで、子供の頃は空想ばかりしていた。朝から晩まで、ノートに詩とか小説を書いていた。で、気が付いたら書き始めていた。たくさん書いたよ」
「どのくらい?」
「百は書いた」
「ほんとに?」
みんなが驚いていた。ああ、多分、本当だと思う。
「じゃあ、質問。小説ってツジーにとってなんですか?」
ぼくはいい質問だな、と思った。ソフィと目が合った。彼女は遠くで別の誰かに囲まれながら微笑んでいた。
ぼくをここに連れてきてよかった、と思ってるならいいか、と思った。
「小説って人間なんだよ。いろんな人間がいていいように、小説にもいろいろな小説があるんだ。それは人間と同じで、無限だよ。だから、ある日、小説ってまるで人間だなって思った」
「わかる。ツジー、私、ずっと人間になりたかったのよ、ずっと」
あまりに素晴らしい答えだったので、ぼくは思わず感動をしてしまった。人間になる、というのは、自分を見つけるということに他ならない。