JINSEI STORIES
滞仏日記「パパはさ、と息子は昔、ぼくに意見をよく言った。パパはさ、もう若くないんだから」 Posted on 2022/03/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくは早起きをして、荷物をまとめた。これから、三四郎と田舎を目指すのだ。
一応、息子の食事は「作り置き」「買い置き」「材料もろもろを用意」して、ぼくがいない間の食事もいつものように準備完了なのであった。
息子の部屋をノックし、
「暫く、田舎の家に、行ってくれるけど」
と言った。
「あ、じゃあ、大学の受験代を払わないとならないから」
となり、二人で彼のパソコンを使い入金手続きをした。
「食料はいつも通り、冷蔵庫にある」
「オッケー」
「あと少しだから、遊び歩かないで、勉強に集中しろよ」
「オッケー」
「20ユーロ、キッチンに置いとくから、何かあれば、水とかそれで買えよ」
「オッケー」
ぼくはコーヒーを飲むためにキッチンに行った。息子がやって来て、水を飲んだ。冷蔵庫を開き、食材の説明をした。
「パパはさ、・・・」
「何」
「パパってさ、・・・あ、いや、なんでもない」
「なんだよ。いえよ」
「たいしたことじゃないから、いいよ」
息子は戻っていった。「パパはさ」という言い方は懐かしい。彼が小さい頃、よく、言われた。
小言を・・・。
息子はいいやつだけど、自我が強い、つまり頑固なのである。子供の頃は、よく、ぼくの粗探しを得意としていた。
「パパはさ、物忘れ激しいよ、また冷凍庫の扉がきちんと閉まり切ってなかったよ」
「パパはさ、いつも同じこと言ってるよ、さっきも同じこと言ってたけれど、大丈夫?」
「パパはさ、ぼくに騒がしいって言うけど、こんな時間にギターを弾いたらご近所に迷惑なのは自分じゃないの」
「パパはさ、いつも作り過ぎ。こんなに作って二人で食べきれるわけないでしょ。ぼくを太ろせたいの」
「パパはさ、しつこいんだよ、わかってるよ、そんなこと子供じゃないんだから」
「パパはさ、もう若くないんだから、無理して若ぶるのやめた方がいいよ。惨めだから」
やれやれ、なんでこんなに偉そうにするのか、と今まで何度頭にきたことか・・・。
ぼくの身長を息子が追い抜いた頃から、「パパはさ」が増えた。ぼくを見下ろすようになった頃から、息子はだんだん、ぼくに対して意見を言うようになった。
今は、どっちが親かわからない。
「老いては子に従え」とは、言うけれど、困った諺である。
「年をとったら出しゃばったり我を張ったりしないで、何事も子に任せて、これに従っていくほうがいい」という意味だけれど、逆を言えば、子に従ったら老いた証拠ということになる。
ぼくはそもそも「老いた」と言われるのが心底嫌だ。
嫌だからその反動で「これでも還暦です」と自分から逆手をとって若さを主張しているような可愛げが実はぼくの売りでもある。
あはは。なんのこっちゃ・・・。
年老いても、息子に従うなんてことは出来ないし、するつもりもない。
ぼくには親としてのプライドがある。
だから、偉そうに批判をされると本当に頭に来る。
だけど、最近は言い返せない。なんでだろう?
「ひとなりは、自分の子供にだけは甘すぎる」ママ友たちが口を揃えてぼくを批判する。
「ひとなり、なんで、息子にガツンと言えないの?」
怒鳴りつけてもいいのだけど、怒鳴りつけた後の自分が嫌いなのだ。
生意気なことを言われると、喉からパンチが飛び出すくらい言い返したくなるが、言い返すとこじれそうで面倒くさいから、言われたままにしていたら、いつの間にか、上下関係が逆転してしまった。
親子というものはっだいたいそういうもので、ある時、どこの家庭も、そうなる。これは当たり前なのだ。
シングルなので、息子に辛い思いをさせてきた、という弱みもぼくにはある。
だから、これくらい受け止めてやるか、と寛容にしていたら、どんどん付け上がって来た。あはは。
「お前に何がわかるんだよ。社会に出て自分の力で稼いでいるわけじゃないのに。自分一人の力では何も出来ないくせに、働いて金稼いでから文句言えよ」
と子供に言ってはならない。
それは自分だって、そうだったわけで、子供は親を頼って育っていくのが当たり前なのである。
それを頭ごなしに、お前に何がわかる、と言っちゃ、フェアじゃない。実に難しい問題である。でも、ほったらかしていると、つけあがる。
「パパはさ、自分のことをみんながどう思っているかってことばかり気にしてるじゃない。パパはさ、ナルシストだし、普段はさ、だら~っとして腹出して、ビール飲んで、めっちゃ中年のおじさんなのに、カメラ向けられると、背筋伸ばして、あんな帽子かぶってさ、かっこつけてる。それは誰に見せてるの? カッコ悪いパパでいいのに」
「やだよ。パパは自分のドリームを追求したい」
「パパ、そんなパパのこと誰も見てないって、パパが自意識過剰になるほど、周りは誰もパパのことなんか眼中にないんだって。逆に笑いものになっているかもしれないじゃない。ぼくの前にいる普通のパパでいればいいんじゃないの? カッコ悪いことって逆にぼくは凄くかっこいいことだと思うけど」
「そうじゃない。パパは、嫌なんだよ。だらしなくなるのが許せないんだ。パパはずっと変わり者のパパでいたいんだよ」
「パパ、それならいいけど、そういう風に生きてると長生きできないよ。ぼくはどんなパパでも、たとえ年老いても、そのままのパパがいてくれた方がいいんだ。わかる? ありのままでいいんじゃないの?」
息子はいつも正論を言う。たしかにその通りかもしれない。
それも頭に来る。やれやれ、でも、子に従うことは出来ないのだ。親には親の意地がある。
「パパはさ、でも、それがパパなのかもしれないけれど。運転、気を付けてね。三四郎にもシートベルト忘れないように。それと、誰か探して、幸せになった方がいいよ。もう、若くないんだから・・・、友だちに毛が生えたくらいの存在でいいから、いつも、パパのこと考えてくれる人が近くにいた方がいい。ぼくは9月から一人暮らしを始めるんだから・・・」
つづく。