JINSEI STORIES

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」 Posted on 2020/09/22 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、エッフェル塔、ベルサイユ宮殿ツアーが無事に終わった。
最終的な参加者は、エッフェル塔が2550人、ベルサイユ宮殿が8500人であった。正確な数字はまだ出ていないが、多くの方々に視聴して頂き、感謝しかない。
それにしても、ベルサイユ宮殿ガイドのカトリーヌさんのマシンガントーク炸裂で、まるで出番のなかった父ちゃんだった。
生中継というのは撮り直しが効かないので進行役のぼくとしては出たとこ勝負だったけれど、いざ始まると止まらないカトリーヌ! その日仏凸凹コンビ、あれはあれでよかったのかもしれない。
でも、エッフェル塔もそうだったけど、はじまるとどんどん楽しくなっていくのが父ちゃんの父ちゃんらしいところなのか。
はじまったら、終わるしかないので、あがったり、考え込んだりしている暇はない。人生は、その瞬間瞬間を楽しんだ者の勝ちなのである。

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」



コロナ禍のこの時代、多くの人が「もう旅は出来ないかもしれない。
今までのように欧州にはいけないかもしれない」と思っている中、こういう形であろうと、皆さんをフランスの名所にお連れ出来たことはいい思い出となった。
うちのおふくろも喜んでいた。
ベルサイユ宮殿の担当者、アンナ女史もかなり頑張ってくれた。
彼女が言っていたけど、ベルサイユ宮殿を貸し切りで一時間生中継したメディアは過去に記憶がない、とのことだった。

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」

人間、やはり、どこかで嬉しいこと、美味しい思い、幸せな時間が必要なのだ。コロナで日常生活を奪われている人類にとって、またいつか旅が出来るかもしれない、という希望は本当に大事だ、とつくづく思わされた二日間であった。
ぜひ、コロナが落ち着いたら、ベルサイユ宮殿を旅してもらいたい。



個人的に面白かったのは、修復場面に出会えたこと。
ちょうど、鏡の間の裏側で、扉の金箔の修復をしている方々がいて、番組そっちのけでぼくは見とれてしまった。
修復、大好きな言葉である。思えば、人生は修復の繰り返しだ。
革命や戦争で王の銀の玉座が喪失し、その場所だけがぽっかりと空いていたけど、逆に言うとそういう何もない場所こそ、見る価値があり、歴史だと思った。
家に帰って歴史を学んでいる息子にベルサイユの本当の歴史を習った。息子は珍しく自分が思うフランスの歴史を興奮気味に語っていた。ここにもう一人のガイドがいた。
フランスで生まれた息子にとってベルサイユ宮殿は日本人が見ている華やかな宮殿とはぜんぜん違ったものに見えているようであった。
夕飯の間、息子とベルサイユ時代のフランスについて語りあったが、今回のツアーがなければ、カトリーヌや前日のガイドの中村君の蘊蓄がなければ、息子とここまで話し合うことが出来なかったであろう。
歴史というのはすごいことだし、ぼくらは今という歴史の中を生きている。
このことを世界中の歴史建造物から読み取れるのもツアーの醍醐味かもしれない。
ただ、綺麗なものを見るだけじゃなく、人類の未来への教訓を読み取る場所だったりするのだな、と今日、改めて、ベルサイユ宮殿を歩きながらぼくは思った。

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」



ルイ14世は10歳の時にフロンドの乱を経験し、貴族たちに殺されるかもしれないと恐れたことで、貴族をベルサイユに集めて住まわせ、参勤交代のように宮殿に呼びつけ謁見や宴会を連日やり続けた。
市民にも宮殿や庭園を見せ、「王の庭園鑑賞法」という書物まで出している。
その中で、自分はこうやってこの庭を眺めているのだ、と説き、市民に同じ視線を与えることで、絶対王政を浸透させようとした。
今の時代のぼくらが思う王様の在り方とはちょっと違っていて興味深かった。知れば知るほど、ベルサイユというのは面白い場所である。

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」



圧巻だったのはやはり鏡の間だった。今回は観光客が一人もいない中での撮影だったので、ぼくは本当にラッキーだった。
あれだけ広大な鏡の間の中心にぽつねんと立った時、なぜか、ふと、当時の人々の交流の風景が脳裏を過ぎった。
誰かがぼくの前を幸福そうに通り過ぎて行った。ある人は逃げまどっていた。
17世紀後半、18世紀の冒頭、ここで生きた人々の生活がなんとなく見えた気がしたのだ。ぼくは目を閉じ、その時代を懐かしんだ。

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」

そして、ツアーの終点でもあるマリーアントワネットの部屋がそれとはまた違った意味で印象に残った。
もちろん、大きな部屋であり、人々がうっとりするような家具や壁紙や天蓋のついた綺麗なベッド、どれをとっても素晴らしい部屋であるのは違いないのだが、同時に、他の部屋では感じなかった寂しさを覚え、まだそこにマリーアントワネットが宿っているような不思議な気持ちに襲われてしまう。
あの部屋をぼくは美しいと思わなかった。いつものぼくの思考の根源にある問いかけがまた、その時のぼくの心の中にも現れたのだ。
「人間とはなんぞや」
我々は歴史からいったい何を学べるのであろう。

滞仏日記「ベルサイユ宮殿ツアー顛末記」

自分流×帝京大学
地球カレッジ