JINSEI STORIES

滞仏日記「ニコラとマノンの気になるその後」 Posted on 2020/09/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ニコラのお母さんから「お茶できませんか? ちょっと相談したいことがあるので」と連絡があり、夕刻、カフェで待ち合わせた。
離婚の話しというより、子供たちのことについての話しになるだろうということは分かっていた。
話しは席に着くのと同時にはじまった。
案の定、離婚後の子供たちとの向き合い方、心構えについての相談であった。
「夫婦のことは、別に、もう、しょうがないと思っています。2年も悩み続けて出た結論ですから。でも、離婚に踏み切れなかったのはやはりニコラが幼かったから。私たちが離婚について語りだした時、彼はまだ7歳だった。どうしても離婚に踏み込めなかったの。私たちは夫婦で心理カウンセリング(プシコローグ)に通うことになりました」

滞仏日記「ニコラとマノンの気になるその後」



この心理カウンセリングに通う、のはごく一般的なことで、離婚問題などを抱えた時の相談相手にもなってもらえる。
夫婦で通うというのは、お互いがどこか折り合える妥協点を探そうとしたのであろう。
心のケアをとっても大事にする国なので、子供たちも何かあると頻繁にこのプシコローグに通う。
うちの子も、離婚の時に、行かせるべきか、で悩んだけれど、その頃はまだ精神科とプシコローグの区別がつかず、自力で頑張ってしまった。



「でも、結局、私たちは無理でした。ロックダウンの間、そのことがよくわかったの。一緒いたらきっと二人とも窒息してしまう、と思ったし、そういう仲の悪い親の間にいる子供たちも可哀想だと思いました。でも、実際、離婚が現実味を帯び、いろいろな話し合いが進んでいく中で、次に私たちが悩むようになったのが、子供たちのことなんです」
言葉を選びながら、ニコラのお母さんはぼくに言った。
彼女がぼくを頼っていることは明らかった。
もちろん、出来ることはするつもりだけど、出来ないこともある。
どういう風に、離婚後、子供たちを育てていくのか、訊いてみることにした。

滞仏日記「ニコラとマノンの気になるその後」

「ご存じのようにフランスにおける離婚の場合、親権は両方が持ちます。なので、私たちは交互に面倒をみないとなりません。今、住んでいるアパルトマンは二人の名義で買ったものだから、これを売りに出します。そして、それぞれ別々に暮らす。子供たちは二人の家を行ったりきたりすることになります。ニコラが中学になるまでは今の小学校の傍の、歩ける範囲にお互い部屋を借りて、子供たちを行き来させます。お互い働いているので割合が難しいですけど、多分、一週間交代で面倒をみるのかな。離婚と言っても子供たちを中心に関係は継続する形が暫くは続くでしょう。すくなくともニコラが中学生になるまでは」
「そうだね、それがいいね」
「ムッシュ、その、ムッシュはおひとりで子育てをされてきたでしょ? 言葉で言えないくらい大変だったでしょうね」
ぼくは返答に困った。何と言えばいいのか、ここは言葉を選ぶ必要があった。
「そんなことはないよ。ぜんぜん、ない。苦しみよりも大きい幸せがあった」
「そうなんですか?」
「ぼくは子供が好きだし、作家だからほぼ家にいるでしょ? 会社員のお二人に比べると、ぜんぜん楽だったと思う。料理がもともと趣味だったからこれもラッキーだった。だから、ぼくを他のシングルのお父さんと比べるのはどうだろうね。息子も大きな反抗期は無かった。反抗はしていたと思うけど、グレたりしなかった。ぼくのことを不憫に思ってくれたのだと思うよ」
ぼくは自分で言っておきながらおかしくなって笑ってしまった。
「それに、ニコラにはラッキーなことにマノンがいる。これはとっても素晴らしいことだ。マノンがお母さんの代わりを引き受けてくれるだろう、きっと。マノンはよく世の中を見ているから、そういう意味じゃ、あなたたちもラッキーだった。二人とも、いい子たちで」



ニコラとマノンを長年みてきて思ったのは、姉弟の関係のすばらしさだった。お互い足りないものを支え合っている。
マノンがニコラのためにサッと手が出る時、ぼくはホッとする。ニコラは甘えることが出来る相手が傍にいる。よくできている。

「しかし、ニコラのお父さんは料理出来るのかい?」
いい人なのだけど、ちょっと頼りない感じはある。仕事は出来るのかもしれないが、とても料理や掃除や買い物が出来るようなお父さんには思えない。
「たぶん、無理でしょうから、そこはマノンが手伝うんじゃないか、と。あと、昼は学校給食があるからなんとかなります。栄養は学校で」
「そうだね、みんな、なんとかやってるから、大丈夫でしょう。みんなどこの家庭もいろいろと問題を抱えているけれど、ちゃんと育っているから、そんなに心配をすることはないと思いますよ」

滞仏日記「ニコラとマノンの気になるその後」



フランスは日本よりも離婚が多いので、不幸中の幸い、うちの子もそのことで肩身の狭い思いをしたことがなかったし、むしろ、同じ境遇の子たちで疑似兄弟のような関係を結んで仲良くしていた時期もあった。
ニコラはすでにこの問題を頭で理解している気がする。
マノンがそのことをちゃんとニコラと話し合った形跡を感じたことがあった。
「いつ、正式な離婚になるの?」
「憎しみあって揉めてるわけじゃないので、お互いの弁護士が話し合い、多分、年内には」
フランスも数年前までは、結構、離婚が難しかったが、今は簡素化され、円満離婚の場合は手続きが2,3ヶ月で終わるとのことだった。
「ムッシュに凄くあの二人が懐いているので、時々、ご迷惑をかけることがあるもしれません」
ぼくは何も戻さなかったが、小さく頷いておいた。
それは、この両親には関係のないことだからだ。
ぼくとニコラ、ぼくとマノンとの関係であった。

「ところで、ニコラとマノンはどうしている?」
「元気にしています。ニコラは最近、建築家になると言い出しました」
「おお」
「ええ、マノンはムッシュに影響されて、小説家になりたいみたいですよ」
「マジ? じゃあ、ぼくのライバルだね」
「ええ、私たち家族の記憶を小説にするんだと言い張っています」

自分流×帝京大学
第4回新世代賞 作品募集中