JINSEI STORIES
滞仏日記「ニコラとマノンは帰っていった。それでも日々は流れていく」 Posted on 2020/09/07 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、親の都合で家にいられなくなったニコラ君とマノンちゃんは一晩我が家で寝て帰って行った。うちに泊まったのは初めてではないので、勝手知ったる辻家、ということだと思うのが、二人の顔に笑顔が戻った。うちの息子と4人でカードをやったり、大笑いをしたことが嬉しかったのか、お父さんとお母さんが迎えに来た時、ニコラは帰りたくなさそうなそぶりを見せた。でも、ムッシュ・ジャポネはそれ以上、彼らの人生に介入することはない。冷たいということじゃなく、お節介をしたくないということでもないのだけど、家族で解決をしていくしかない問題だから、見守ることになる。必要な時、ぼくとうちの息子はここにいるからね、という存在感を手渡しておくことは出来た。なので、お父さんとお母さんが来る前に彼らのリクエストにこたえて、シポラータ(豚のソーセージの中身)のパスタと、イカとトマトのクリームパスタを作ってあげた。二人で意見が分かれたので、どうせなら、二人前ずつ作ろうということになる。ぼくとマノンがイカとトマト、息子とニコラがシポラータのパスタになった。美味かった!
こういうのは優しさじゃない、という返信もいくつかあったが、そんなのはどうでもいい。これは日記なので、起こったことを書いただけだ。優しさに関する日記は数日前に書いたので、気になる人がいるのであれば、ぼくが考える優しさについてはこちらを参考にされたし。
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https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-899/
そして結論として、ニコラの両親の離婚が決まった。ニコラとマノンが頻繁にうちに来るようになった時(一昨年?)からその予感はあった。コロナ禍によって、二人の親の決断が早まったということだと思う。その件に対するコメントはない。二人の話しを聞いて、なるほど、とぼくは言ったに過ぎない。ニコラとマノンとの関係は、親が別れようが仲直りしようがぼくは変わらない、同じ気持ちだ、ずっと。この二人がぼくを頼ることがあれば、ぼくは二人が好きだし、出来る限りのことをするだけで、そのことで批判をされても、はっきり言うけど、これはぼくの問題だからね。ニコラのご両親もこの件については何も言わないだろう。
「また、おいで、いつでも、おいで」
「ありがとう」
ニコラとマノンは笑顔で帰って行った。彼らに待ち受けているものは現実だ。でも、ぼくは彼らがまた来たいと思うなら、どうぞ、と笑顔で言う。小さな頃から、よく知っている。同じ町内会の子供たちだ。それだけのことかもしれないけど、ぼくにはそれで十分だ。
夕方、オディールからSMSが入った。息子の同級生、ロマン君のお母さんで、彼女も何度かこの日記に登場している。思えば、十数年来の知り合いになる。本当の友だちの一人だ。
「ヒトナリ、どうしているの? コロナによる経済の混乱にも関わず、あなたが生き延びていることを祈ってました。お元気? オディール」
なんと、タイムリーなのだろう、と思った。来週、息子の学校でかなり専門的なバカロレア(大学入試のフランス制度)の説明会があるのだけど、ぼくの仏語力では到底理解出来ないと思って悩んでいたところであった。そのことをオディールに相談した。
「ヒトナリ、どうせ私は行くから、聞いて来てあげる。彼の選択科目を教えて頂戴」
オディールとは一年に一度くらいお茶を飲んだりする仲だけど、あ、コンサートにも来てくれるけど、チャットのママ友のようなしょっちゅう話しをする関係じゃない。息子とロマン君がいまだに同じ学校で、同じクラスなので、こういう時、いつも世話になってしまう。でも、一度も損得で動いてくれたこともない。なぜ、こんなに面倒を見てくれるのか、ぼくにはわからない。でも、多分、これも息子同士が同じ学校の仲、ご縁があるからだろう。昔からの顔見知りで、友だちだからだ。ぼくから、お願いしたことは一度もないのだが、いつもいろいろと面倒を見てくださる。そこが嬉しい。
今日、日本人のドクターから、SMSで相談をした体調のことで親切な返事を頂いた。この件は本来、診察に行って話をしないとならない案件だと思うが、コロナウイルスがはびこる時代なので、まず、メールで相談をし、アドバイスを頂いた。仏語ではテレ・コンシュルタシオンというが、メール診断のようなものが今は主流なので、メールによるこのようなやり取りはもちろん特別なことではない。それ以前に日本人同士なので、まずはアドバイスをくれたのだ、と思う。ぼくはもちろん、これを正式な診察にしてもらうつもりだけど、まずは先生の患者を大事に思うお気持ちに感謝を述べたい。
ニコラとマノンのことに話しを戻すけれど、ぼくは聖人じゃないし、ご指摘の通り、偽善者かもしれない。批判される理由はよくわからないけど、目の前で倒れている人がいたら黙って通り過ぎるかどうかは、自分で決めればいいことじゃないか。その人がだれであろうと、その時、自分には関係ない。その人がどんな政治思想を持っていようが、目の前で不意に起こったら無視はきっとできない。最初からそれを否定する生き方もあるだろうけど、目の前で起こらないと分からないことだけど、常に心の準備はしている。出来るだけ、面倒くさい人間関係にはかかわりたくないというのも一方で、ぼくのスタンスではある。この辺の線引きは難しい。きっとわざと面倒を押し付けてくる人もいるからね。そういう人には立ち止まらないのじゃないか、と思う。でも、ニコラは9歳だし、彼が3歳くらいの頃から知っているので、はい、そうですか、関係ないです、とはならないでしょ? 言っとくが、優しさからの行動ではないのだ。ぼくは皆さんが思うほど優しい人間ではないので、あしからず。