JINSEI STORIES
滞仏日記「あのロックダウンからぼくは何を得たのか」 Posted on 2020/09/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ロックダウンとは何だったのか。あれからぼくはいまだにずっと考えている。
物理的に人間はロックダウンにより動けなくさせられ、立ち止まることを余儀なくされたのだけれど、しかし同時に、このロックダウンによって人間は立ち止まる代わりに、動けないことで自分が置かれている現状について思考することを始められたのじゃないか。
たとえば、ある人は、ロックダウンを通過したことで会社をやめ、仕事を変え、これまでとは違った生き方をスタートすることになった。
ある人はパリを離れ、田舎で暮らすようになった。離婚を決意した人もかなりいる。
ロックダウンにならなければ(新型コロナが出現しなければ)、今まで通りこの世界について何も疑うことがなく生きていた可能性もある。
離婚もせず、仕事も続けて、都会で生きていただろう。
考える動機をロックダウンが、或いは世界的な感染症パンデミックが人々に思考するきっかけを与えてしまったのである。
それが実はコロナウイルスがやったことの重要な一つであった。
ぼくはその期間、毎日、ほぼ二回、夜と昼に、自分の身の周り、自分が暮らすカルチエ(界隈)で起こっていることを日記形式で綴った。
読み返すと自分の心の変化、考え方の変異を見つけることが出来る。
それは毎日、刻々と変化を続けていた。一日の中で、或いは数回、大きなうねりを引き起こしていた。
夜に思ったことを、翌朝には否定していたし、その逆もあった。
3月の後半は、二日に一度、絶望感に襲われてもいた。自分のせいではなく、絶望したのは後にも先にもこの時だけであった。
最も大きな絶望を覚えたのはロックダウン直後のことで、忘れもしない、毎日、物凄い数の人が次々この世から去っていた時期と重なる。
ベッドがなくスペインの病院の廊下で寝転ぶ重症患者たちの呼吸困難に陥った状態の映像がテレビから流れた時、その直後の、フランスの科学者が「無症状の人からも感染する。逃げられない」と語った時、そのウイルスを誰も止めることが出来ないと悟った瞬間、そして、コロナウイルスが途轍もない化け物に思えた時のことであった。
ぼくはベッドに倒れ込み、動けなくなった。これはさすがにもうダメだ、終わった、と思った。
それでも、それでもぼくは息子の父親として、負けるわけにはいかなかった。
未来を信じているこの子を強く導かなければならなかった。その時にまたぼくはたくさんのことを考えることになった。
どうやったら、この世界の中で、挫けずに人間らしく生きていくことが出来るのだろう、と思考し続けた。振り返ってあの時の文章を読むと、その時の自身の切実な思いが綴られていて興味深かった。
あの日々を乗り越えようとする自分の中にある何かが愛おしくしょうがなかった。
そして、ぼくと息子は結論から言うと、コロナに罹ることもなく、あのロックダウンを乗り切ることが出来たのだ。
封鎖されたパリで、自分が見たもの、感じたこと、経験したことは、全てがこれから先の世界を生きる上での大事なヒントになっていた。
そして、フランスがロックダウンされる前の日常からはじまり、ロックダウンが解除された後の世界までを綴ったのがぼくの最新刊「なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」なのである。
ここで日々綴っていたことの集積だが、ここに掲載していた後に時系列に沿って一冊の本に編んでみると、日々の細部よりも全体としてぼくが届けたいと無意識に考えていたことが見えてくるから不思議であった。
多分、ぼくは息子との生活をこれからも疎かにしないで、生きていくことになる。
再び深く落ち込むこともあるかもしれないが、今日現在のぼくはもう絶望していない。
なぜなら、ロックダウンを通過したことで不安に対する耐性や悟りをぼくの心が持つことが出来たからだ。ロックダウンの異常事態の中で、ぼくの意識と精神は逆に正常に作動し続けていた。
なので、このエッセイ集は、自分がいつか、自分を振り返るためにも重要な一冊になったのじゃないか、と考えている。