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滞仏日記「ついにフランスの田舎の家を内見した」 Posted on 2020/09/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、息子が登校した後、仕事していたら携帯に見慣れぬ番号から電話が入った。
「もしもし、ムッシュ・ツジ?」
「はい、どなた?」
「ジョゼフィーヌ(仮)です」
ジョゼフィーヌ???? 誰だか思い出せないのは失礼なので、ああ、ジョゼフィーヌさん、お元気ですか、と飛んでもないことを口走ってしまった。実は相変わらず、ストレスのせいで調子が出ないのだ。仕事が多すぎる上に、しげちゃんがうるさい。気晴らしにどちらのジョゼフィーヌか知らないが、ちょっと話しをして気晴らししてみたくなった。
「元気です。覚えていてくれたんですね。ありがとう。夏前に連絡頂いていたのに、お返事できずごめんなさい」
夏前? ぜんぜん、覚えてない。健忘症か。これはやばい。何か約束をしたようだ。



「前に問い合わせ頂いてた物件がようやくビジットできるようになったのですが、今週はどうでしょう?」
「ビジット?」
「ブルターニュの・・・村の海が見える家ですよ。オーナーが今日からパリで」
「ああ」
そうだった。夏前に、不動産サイトで物色していた時、この家の写真を見つけたのだ。可愛い家だった。そこで生活してる自分の姿が想像できた。連絡を取り合い、何度か電話でも話しをした。ちょっと遠いけど、ぼくはいつでも行くから遠慮しないで内見できるタイミングが来たら教えて下さい、と伝えておいた。思い出した。でも、今週はオンライン・パリツアーの打ち合わせと準備で塞がっている。「せっかく、連絡頂いたのに残念だけど、明日の夜から週明けまでびっしりなんですよ」と伝えた。するとジョゼフィーヌ不動産の人が、ならば今日は? と言いだした。
「今日? 今から? ブルターニュまで?」



あまりにも急な申し出で、こちらの都合も考えてない提案に、ちょっとイラっとした。
「車で3時間半ですよ。あっという間です」
「そうは思わないけど、…」
でも、海の家は、小さいけど理想的な家だった。ガレージが付いていて、小さな中庭もある。目の前の海は、さびれた海だけど、可愛い浜辺がどこまでも続いている。過疎地で、娯楽施設もないが、その分、値段は驚くほどに安い。見ておく価値はある。友人は100回ビジットしてやっと買ったんだ、と言っていた。まだぼくは一度も内見をしていない。何事も経験が大事だ。田舎で暮らしたいなら、出向いて、気になる物件はどんどんチェックしていくしかない。ちょっと悩んでから、
「行きます」
と戻してしまった。後先考えずに…。
「あ、じゃあ、14時に村の中心の教会で待ち合わせましょう。SMSで住所送っときます」
電話を切ったあと、やれやれ、断れなすぎやろ、と思わず自分の優柔不断さに、飽きれてしまった。息子が帰ってくる19時までに戻ればいい。往復出来ない距離じゃない。

滞仏日記「ついにフランスの田舎の家を内見した」



10時にパリを出て、高速道路を130キロで飛ばし、ブルターニュのサンマロを目指した。物件はモンサンミッシェルとサンマロの間の山と海の間にある。サービスエリアで二度休憩をとり、待ち合わせた教会についたのは14時5分過ぎだった。モンサンミッシェルが近いのも素敵だ。車の中で、ぼくはわくわくしていた。どんな物件だろう、と想像してウキウキして仕方ない。ささくれだっていた気持ちが和らいでいく。

教会の裏の駐車場でジョゼフィーヌはぼくを待ち受けていた。彼女は初めてぼくと会うというのに、すぐに分かったみたいで手を振ってくれた。ボンジュール!
「ボンジュール」
「今日電話して、今日来る人はなかなか珍しいんですよ」
とジョゼフィーヌがいきなり言った。なに? 来いと言うから来たのに、と思った。



海の印象としては九十九里の浜辺に似ている。サーファーがいた。先導するジョゼフィーヌの車が浜辺の一軒の古い民家の前で止まった。ここだ。たしかに写真の家である。周囲にポツンポツンと家が建っている。九十九里町の浜辺にそっくりだ。函館にもちょっと似てるし、唐津の海にも似ている。どこか日本っぽいということだろうか。家の外観は、古いアメリカの家みたいであった。

滞仏日記「ついにフランスの田舎の家を内見した」

手入れの行き届いた小さな庭もある。

滞仏日記「ついにフランスの田舎の家を内見した」

サンテラスもついている。望遠鏡があった。

滞仏日記「ついにフランスの田舎の家を内見した」

地下にガレージがある。でも、古い建物なので、よく見ると、壁も古いし、屋根も色褪せていた。相当改装しないとならない。でも、二階の窓から少し先に海が見える。たぶん、沈む夕陽が見える。反対側の山の向こうから朝陽が登る。偉そうな海じゃない。こじんまりとした波が穏やかに打ち寄せている。

滞仏日記「ついにフランスの田舎の家を内見した」



でも、結論から言うと、なぜか、決めきれなかった。予算の問題もあった。でも、一番の問題は、ぼくがここに籠ったら、ぐんと老けてしまいそうな気がしたのだ。ジョゼフィーヌ曰く、隣近所には、リタイアした方々が暮らしている、らしい。ちょっと考えさせてほしい、と言い残して彼女とは別れることになった。ぼくは周辺を歩いてみた。どういう人たちが暮らしてるのか、様子を見る必要があった。外国人に対して過ごしやすい場所だろうか? 差別は? カフェやレストランは? 

家を買うというのはそう簡単には出来ない。改装費用も手数料もかかる。無理は出来なかった。気が付くと、17時を過ぎていた。歩き疲れて、パリに戻る力は残ってなかった。そこで息子にメッセージを送ることにした。この村に宿を探すことになった。
「パパは今日、放浪に出ました。冷蔵庫にあるものは何を食べてもいいです。戸締り、火の用心、忘れずに。明日、昼には戻るので、よろしく。父」

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