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滞仏日記「ママ友ソフィの悩み事を聞くの巻」 Posted on 2020/08/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ママ友のソフィ―はシングルマザーで、弁護士。チャットグループのリーダー的な存在である。ボーイッシュで、声が低くて、ぼくと二人でいると、もしかしたら、男女には見られないかもしれない。ぼくよりも、むしろソフィの方が男っぽいかもしれない。今日は午後、サンジェルマン・デ・プレのカフェでお茶をした。
「ムッシュ・アベ、体調が悪くて退任されるんだって?」
いきなり、その話題になったので、ちょっとびっくり。



安倍さんは長く首相をやってこられたこともあり、結構多くの人が名前を知っている。今までの日本の政治家で名前が出てくる人はほとんどいないので珍しい。安倍さん以外だと、徳川家康とか織田信長まで遡らないとならない。中曽根元首相の風貌が、シラク大統領にちょっと似ているという記事を昔、読んだことがあったけど、日本の政治家で存在感を残せた人はかなり少ない。ユーモアとか、アピール度とか、多分、存在感が足りないのかもしれない。
「難病が再発されたそうで、今の日本のかじ取りは難しくなったみたいだ。今は、ご自身の身体を大事にされるべきだと思う。新しい人が引き継ぐ」
「次の日本の首相はどういう人になるのかしらね、どちらにしても、大変な時代を継ぐのだから、日本にとっても、世界にとっても目が離せない人選になるわね」
「日本の首相のこと、そんなに気になる?」



「ええ、もちろんよ。米中対立はこの星の未来にとって脅威になる。この問題を解決できるのはもしかすると日本のリーダーかもしれない。長引くコロナが経済に与える影響に加え、温暖化問題など、先進国のリーダーに求められる責任は重いからね、発言力、実行力のある人がいいわ。英語くらいペラペラじゃないとね、日本の首相が自分の言葉で何か発言しているの、見たことないし。ねぇ、そういう人いる? 」
日本の顔、確かに大事だな、と思った。しかし、ぼくは英語が喋れることよりも、もちろん、それは大事なことだけど、国民のことを一生懸命考えてくれる人がいいな、と思っている。
「ぼくは? ぼくが首相になったら、日本と欧州の懸け橋になるのに」
「ダメよ、絶対ダメ。君の英語、酷いから。それ以上に、人の話し聞かないし、そんな人、政治家にむかない。絶対ダメだわ」
ソフィは笑い出した。ぼくも一応笑っておいた。
「最近、マクロン大統領、お見掛けしないけど、どうなの? 国民はコロナ対策、評価しているのかな? 再び感染拡大しているけど」
「意見の分かれるところだけど、私は彼、頑張ってると思うけどね。でも、そうは思ってない人も結構いる。ただ、彼は若いから、私よりも若いから、その若さにかけたい」

滞仏日記「ママ友ソフィの悩み事を聞くの巻」

ソフィ―はぼくの年齢を知らない。息子が16だから、40代後半くらいに思っているかもしれない。こっちの人は年齢で友だちを選ばないし、日本みたいな年功序列もない。例えば、ぼくの行きつけのカフェは、近所の若者とご年配の人が肩を並べて飲んでいる。そこにぼくも参加しているけど、年齢を訊かれたことはない。子供か大人しか彼らの眼中にはない。敬語もほぼ聞かない。年齢による差別は存在しない。そこはいいことだと思う。『君、何年生まれ、え、じゃあ、俺の方がいっこ上だ』みたいなのは一切ない。



「ところで、君自身はどうなの? 何かあった?」
なんとなく、恋人は出来たのか、と訊いたつもりだったけど、どうも、ぼくのフランス語が通じなくて、仕事はどうなのか、ととられたみたいだ。
「それがね、仕事は増えたのだけど、ロックダウンの後、離婚と倒産の案件ばっかなのよ。離婚5割、倒産5割りって感じ」
「マジ? そうか、倒産はコロナ禍のせいだってことはわかるけど、離婚はどうして?」
「ロックダウンのせいよ。ロックダウンで家から出られなかったでしょ。いつもいなかった夫と四六時中一緒。そして、人生を見つめ直すことになる。この人と生きていく人生でいいのかって、みんな悩んでいる。ロックダウンが人々に考える時間を与えてしまったのよ」
「なるほど、」
「一度、ロックダウンでリセットが起きたのよ。2ヶ月も家から出られなかったから、愛がもうなくなっていることに多くの人が気づいてしまった。コロナがもたらしたことの一つに離婚がある。倒産からの家庭崩壊、そして離婚というのもある。とにかく、今は世界大戦の真っただ中という感じ、どんどん、みんな考え方を変えている。落ち着く先が見えない」
コロナ離婚というやつだった。
「ぼくが聞きたかったのは、君の人生についてだよ。仕事のことじゃなくて、ロックダウンの後、君の人生は何か変化したのか? シングルを続けるの?」
ああ、と呟き、ソフィが微笑んだ。短い髪の毛を手櫛でかきあげ、そうね、と低い声で呟いた。
「ようやく、好きな人が出来たのよ。でも、同性」
ぼくはめっちゃ驚いたけど、顔に出さず、いいんじゃないの、と言っておいた。
「そう? いいと思う? 良かった。でも、娘には言えないから、悶々としている。それに、好きだけど、まだ、恋人とかそういう関係じゃないの」
おっと、…。これ以上は聞かない方が無難かもしれない。フランスでは、根掘り葉掘り他人のプライベートを聞くのは失礼とされている。話題を変えることにした。
「その、今度、その子と三人でお茶でもしようか?」
「ええ、そうね、それがいい。ありがとう、ヒトナリ。同性の子たちが集まるソワレ(夜会)を、私は主宰しているのよ。夜会と言っても、庭で月を見上げてお茶を飲む会ね。男性は入れないけど、君は多分、線が細いから大丈夫。みんなに受け入れられると思うなぁ」
「マジ?」
「マジマジ、私が主催者だから大丈夫。マッチョはダメだけど、君は女性の心がわかる人だから、主夫だしね」
「ああ、それなら、自信あるかも…」
「来週あるのよ。来る?」
「何が?」
「だから、マダム・ソフィのソワレ」
ソフィの目が少年のように見えたので、ドキドキしてしまい、思わず視線を空に逸らしてしまうのだった。

滞仏日記「ママ友ソフィの悩み事を聞くの巻」



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