JINSEI STORIES
滞仏日記「スマートなフランス風おもてなし、幸せな夜」 Posted on 2020/08/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、さて、ぼくと息子は息子の同級生アレクサンドル君の家に招かれた。はじめて彼らの家に招待されたので、ぼくはとっても楽しみだった。アレックスのお父さんロベルトはイタリア人で、投資信託銀行に勤めている。お母さんのリサはベトナム系のフランス人でクラフトの仕事をしている。彼らのアパルトマンは凱旋門と目と鼻の先、シャンゼンリゼに面している賑やかな観光地のど真ん中に位置している。通りに面した扉のコードを押して中に入る。ひとたび建物の中に入ると全然違う静謐な空気が支配している。中庭を通って、うち扉のボタンを押し、さらに建物の中へと入る。うちも同じ造りで、二つのポルト(扉) を通過しなければならない。シャンパンとお菓子を持ってぼくと息子は階段をのぼった。出迎えてくれたのはいつも陽気なリサ。
「ヒトナリ~、ビアンブニュ~(ようこそ)」
ロベルトがやって来て、
「ふぁみ(猫)はいないから、安心して」
と言った。
「なんで?」と驚くぼく。「やっと会えると思って楽しみにしてきたのに」
「猫アレルギーの君を殺すわけにいかないからね、一晩、知り合いに預けたんだよ」
普通なら、頬と頬とをすりすりするビズという挨拶から始まる。しかし、コロナの感染再拡大中のパリだから、お互い自然と自粛。そうそう、パリは今日からマスクが屋外でも義務化され、シャンゼリゼ大通りを行き交う人々も全員マスク。その光景は近未来SF映画のようでちょっと恐ろしくもあった。ぼくの新刊の表紙は、リサが撮影した人っ子一人いないシャンゼンリゼ大通りのど真ん中に座すロベルト。ロックダウン中の一枚だが、実に象徴的なカットだ。その時と今とはいったい何が違うのだろう。
「あ、なんてすごいんだ。日本の本の表紙になるだなんて、光栄だよ。パパに一冊送りたい」。よかったよかった。もちろん、お父さんに差し上げる本も用意してある。
フランスの食事会、いきなりテーブルについて食事がスタートと、ならない。まずは、アペリティフ。これが結構長い。サロン(リビング)のソファに座り、泡もので乾杯、軽いスナックをつまむ。リサはベトナムの豚のすり身と魚のハムをその中心にぽんと添えた。その時点で、今夜はベトナム料理が確定。というか、階段を上がっている段階で、ジャスミン米の香ばしい香りが充満していたので、ぼくの期待は激しく膨らんだ。ああ、お腹がすいた。
昨日の日記で書いた、南イタリアの島(イスキア)の別荘に招かれた時の話しから始まった。その時のぼくとロベルトの仲良しの写真をリサがどこからか引っ張り出してきて、見せられた。若い。僅か数年なのに、大昔の写真みたいだった。思い出話しに花が咲く。島には光りが溢れ、マスクなどしている者は一人もいなかった。再び、ここに行けるのはいつのことだろう。この今とあの時といったい何が違ってしまったのだろう。
※数年前の写真なのに、ぼくはずいぶんと老けた、苦労が絶えないのだ。ロベルトも老けた。
※このロベルトも若い。
アペリティフの途中で、スっとリサが消え、奥のキッチンで料理をし始める。美味しそうな香りが家中を包み込む。いいなぁ、この家庭の匂い。何を作っているのか、気になり、ぼくは携帯を握りしめ、料理風景を撮りに行く。おお、やっぱりベトナム料理だ。リサは空心菜を炒めていた。ロベルトがやって来て、ぼくらは壁にもたれ掛かって、立ち話しをはじめる。人生について、家のこと、子供たちの将来について、とりとめもない話しが続く。息子とアレクサンドルがやってきたので、彼らが料理をテーブルに運ぶ係りとなった。「ア・ターブル~(さあ、ご飯にしましょう)」とリサが号令をかける。待ってました。
隣の食堂に移動する。テーブルセッティングとかワインの準備はロベルトの役目だ。前回、イスキア島ではロベルトがイタリア料理を作ってくれた。今日はリサの祖先の味だ。ベトナム料理は大好物なので、嬉しくなる。ぼくもやっぱり、人を招く時は、必ず日本食を作っている。リサはベトナムなど知らないのだけど、うちの子と一緒で、そこに精神のルーツを重ねているのだ。ロベルトが座る席を指図する。指示された席に座るのが礼儀。男女はだいたい交互に座らないとならない。今日は男子ばかりだから、リサが真ん中に座した。何となく家族が揃った感じ。気分が楽になる。
蟹の春雨、鳥のレモングラス炒め、空心菜のニンニク炒め、ブロッコリーご飯など、シンプルだけど美味しい家庭料理がずらりと並んだ。取り分けるスタイルだった。
話しは、脱線を繰り返しながら、ロベルトの82歳になるお父さんに及んだ。お父さんは何を思ったのか一念発起し、一昨年、ベネト州の広大な土地を買って、プロセッコ(イタリアのスパークリングワイン)の生産を始めた。初年度は3000本が出来たという。82歳で? やるね、とぼく。
「あの人は、コロナで世界がこんなになっても人生をつねに楽しく生きようとする」
「いいじゃない。さすが、イタリア人だ。素敵だよ」
「来年は1万本に増やしたいらしい」
「飲みたい」
「今は手元にないから、次回、必ず持っていく。ヒトナリの意見を聞きたい」
「いいね。そういう夢のある話し、大好きだ」
ぼくらは子供たちの顔を見た。アレクサンドルは映画学校に進む。編集マンを目指しているのだという。うちの子は、知らんけど、無理だと思うけど、弁護士を目指すらしい。そのことを最近打ち明けられたが、リサとロベルトにはもっと前から相談をしていたようだ。何たる息子!
「相談されていたのよ。だから、ロベルトがアドバイスしていたの」
「知らなかった。ぼくは最近知った。でも、何の弁護士になるの?」
息子は肩を竦めた。
「それは大学に入って探せばいい」
ロベルトが父親のように、口を挟んだ。「まずは、弁護士を目指すという入り口が大事だ。出口は無数にある」ロベルトの方がぼくなんかよりずっと頼りになる。なるほど、確かに。
「そうね」とリサが言った。
血も繋がってないし、たまたま、幼稚園から子供たちが一緒というご縁。ずっとこのメンバーで生きてきた。数えてみると、もう十三年もの付き合いになる。ちなみに、離婚直後のぼくはフランス語が下手だった。
「ヒトナリ、喋れるようになってきたね」
「でしょー。ぺらぺらー」
ぼくらは笑いあった。楽しい夜だった。気が付くといつの間にか、ストレスが消えていた。人間、苦しい時は一番仲の良い仲間たちのところへ逃げるのがいい。どんなに屈強な男でも寂しさに殺される。友だちを大事にしよう、友だちが君を癒す。このような時代になったが、昔から変わらぬものがあった。それが友情で、よかった。