JINSEI STORIES
暮らしの日記「息子が自立したいというので、ぼくは米の研ぎ方を教えた」 Posted on 2020/08/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子は結局、給食を学校で食べず、一度家に帰って家で食べてから再び学校に戻るというコースを選んだ。
給食を食べてくれ、という父の願いは聞き入れてもらえなかった。
給食も決して安くはないけれど、彼が学校で食べてくれれれば、ぼくは家事から、少なくとも昼食のことを考えずに仕事や自分のために時間を使うことが出来るのだ。
なのに、昼食時に戻ってこられるとその貴重な時間が奪われることになる。
給食を食べてほしい、と訴えた。
「パパも、ずっとお前の面倒をみないとならないのは辛いんだよ。昼くらい自由になりたい。当たり前でしょ。もう二人で暮らすようになってもうすぐ8年だ。朝昼晩とご飯を作って来た。でも、やっと給食食べて貰えると思っていたのに、家で食べるじゃ、お前自立できないし、パパだって、困るんだよ」
はっきりと言ってやった。息子は可愛いが、これ以上自分の人生を犠牲にしたくない。
ぼくだって、生きているんだ。給食を食べてくれれば、親が楽になる。
そのくらいの主張をしてもいいだろう。ぼくはそれに、働かないとならない。寝る間も惜しんで仕事をしている。どこかでぼく自身、気を抜かないと壊れてしまう。
時々、襲ってくる無気力はこの生活というルーティーンから来ている。
「わかってるよ、だから、パパ、自炊するから、家に戻らせてよ。学校でだらだら過ごしたくないんだ」
と懇願された。
「昼ご飯に関しては、パパが作る必要はないよ。材料だけ、なんか置いといてくれたら、自分で作って食べる。それに、そういう練習をしないと自立できないでしょ?」
「自立?」
「うん、ぼくだって、いつか自立をする。家族を養うようになる」
それなら、反対をする理由が見当たらない。それぞれ、昼は自分で好きなものを作って食べればいい。でも、息子は何を食べるというのだ?
「お前、毎日、何、食べんの?」
「それで、お願いがある。ご飯の簡単な作り方おしえてくれない? お米の研ぎ方とか、スパゲティの茹で方とか、簡単なチャーハンとかパスタの作り方」
9月1日から新学期がはじまる。もう、あと数日しかないので、特訓を開始することになった。
この一週間はとりあえず、昼も夜も息子に何か作らせて、基礎料理のコツを伝授することにした。まずはお米の研ぎ方から教えた。
「パパが子供の頃にジジから教わった研ぎ方だ」
米を二合用意した。コメを研ぐ訓練の監視だ。
いいか、まず軽量カップで測る。ボウルに米が漬かるくらいの水を入れ、ザクっと混ぜて、まず、かるくゆすぎ急いで捨てる。
汚れ、雑物をとるんだ。乾燥したコメは給水しやすいから、ぬかが溶け出す前に素早くやるのがコツだ。
再び米がつかるまで水を加え十数回、手でかき回し、また捨てる。強くぎゅっと米を掴んでしまうとコメが割れるので軽くでいい。水を加え、軽く手で押さえるように研ぎ、水を捨てる、を数回繰り返す。白く濁っているのは栄養素なので、人間には大事だ。ジジは昔、透明になるまで研ぐのが美味しいコツと言って来たのだけど、それは正しいけれど、栄養素を全てすててることになるので、やり過ぎない方が体にはいい。
米を炊飯器の釜にいれ、二合のメモリまで水をいれ、お米の種類によっては二合より少なく、多く、などの調整が必要なので、お米の質をチェックすることも忘れず。
お米の研ぎ方は家によって実はまちまちだ。パパの研ぎ方をお前に伝授するのは、パパの命をお前に手渡すということでもある。いいね?
狭いキッチンに二人で立ち、父は子に米の研ぎ方を教えた。
「パパはね、お前と二人切りの生活が始まった時、窓の外を見つめながら、米を毎日研ぎ続けたんだよ。米を研ぐ時はね、無心にならないとご飯が美味しく炊けないんだ。それはパパだけがそう思っているのかもしれないけど、無心で、研いだ米は実に美味しいよ。余計な雑念が入らないからだと思う。そして、米を研ぐことは日本人にとって人生の修行、訓練なんだ。お前が上手にコメを研げるようになれば、それは一人前ということだ。さあ、やってごらん。
そうやって、炊いたお米をお椀にもって、二人で食べたのだけど、とっても美味しかった。まだ、迷いがあるのが分かる味だったけれど、その硬めに炊けたお米がぼくには新鮮で、お替りをしていた。ま、合格点である。おかずは、納豆とか、豆腐とか、適当に冷蔵庫にあるものを食べればいい。卵焼きの作り方、味噌汁の作り方なども教えた。夜はパスタの作り方、ペペロンチーノやナポリタンの作り方を教えることにする。新学期がはじまったら、彼は自炊をし始めることになるのだ。