JINSEI STORIES
退屈日記「人生は後片付け、宴の後から始まる新しい生活」 Posted on 2020/08/23 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昨夜、みんなが帰ったのが深夜一時半で、そこから息子がブツブツ文句をいいながら、食器を全部洗った。ぼくはさっと部屋の片付けした後、日記を書いてアップし(笑)、それからキッチンで残り物の食材で翌日(つまり今日)のご飯の準備をした。玄米がかなり残ったので、おにぎりを拵え、(ご飯が熱いうちに握るのが形が整うコツである)深夜4時過ぎに、寝た。なので、今朝は日曜日ということもあり、こんな時間(11時半)に起きることになった。おはよう。キッチンに行くと、昨夜握ったおにぎりがぼくを待っていた。
人生は後始末だと思う。人生は後片付けから始まるのだ。ぼくはどんなに大盛り上がりしても、必ず、片付けはその日のうちにやっつけてしまう。
「パパ、深夜二時になろうかというのに、これから片付ける意味が分からない。明日、ぼくちゃんとやるから寝ようよ」
「お前は、片付け係なのにマダムたちと話し込んでいた。食後、さっさと片付けていれば、サクッと済んだのに、楽しい方をとったんだから、ブツブツ言うな。片付けまでが君の仕事だ」
給仕係としてアルバイトを頼んだが、きちんと出来なかったので、片付けをやらないとバイト代は出せない、と言ったのだ。ワイングラスやシャンパングラスは薄くて、子供にはちょっと難しい。でも、そこは任せることにした。何事も勉強だ。木の皿とか、作家もののお椀などは食洗器に入れないこと。リーデルのワイングラスは極薄なので、割ったらお小遣いから差し引きます。気を付けて洗うように、と洗い方を指導した。真夜中にビビりながら食器を洗う息子君であった。でも、朝起きたら、シンクの横に綺麗にグラスが並んでいた。よしよし、それでいい。
「人生は後始末」という言葉を数年前に思い付き、これを自分の信念の一つにした。話は少し違うけれど、「飛ぶ鳥あとを濁さず」的なことが人間は大事だ。ぼくは自分にずっと言い聞かせている。誰かともめても、破壊してそこを去るのではなく、あとくされが残らないように、静かにそこを離れること。それが下らない過去を引きずらない最も大事なことでもある。
こういうことは日々の生活との向き合い方の中にその訓練法がある。楽しい食事の後、すぐに片付ける。昨日のような宴の後、人々が家路についた時間に楽を選ばず、ちゃちゃっと片づけてしまう。すると翌日が楽になる。新しい日をスカッと爽やかな気持ちで迎えるためにも、そういう大変はその日のうちにやってしまう、のが鉄則なのである。
ぼくは人生の後始末をしながら生きていく。この世から去る時、何一つわだかまりを持たずに去りたいじゃないか。何を隠そう、それは自分自身のためになる。宴が終わったら、すぐに片付ける。翌日は、新しい太陽が降り注いでいる。昨日を引きずらないで、新しい人生をスタートさせたい。片付けが終わり、家が再び綺麗になると、そこからまた新しい喜びが押し寄せてくるのじゃないか、と思わずにはいられない。日曜日、この陽だまりの中で、読書をしながら、少しのんびりすることにしよう。心を整え、明日からの新しい一週間に備えるためにも…。