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退屈日記「深夜の雑感」 Posted on 2020/08/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今、日本時間で午前11時10分、こちら、フランス時間の4時10分である。ぼくが今、何をしているかというと、一度寝たのだけど、怖い夢をみて、眠れなくなり、パソコンを開いてしまった。物書きというのは、寝ればいいのに、カタカタと打ってしまう。一種の職業病なのだ。今朝の切ない日記を読んでくれた方、サンドリンヌ、と呟いたお爺さんのその後は気になるところだろうが、ぼくにもその続きはわからない。そもそも、文章にすると切ない日記になるのだけど、普通だったらただの間違い電話で処理されている案件だろう。作家というのは、人が見過ごしたり、見落としたりしているところを拾って、読み物にする動物なのだ。どなたかの返信で「小説みたい」というのがあった。ぼくは、この日記を作品だと思って書いている。どういう風にぼくがこの世界を見ているのかを楽しんでもらい、その見方の向こう側にある世界を知ってもらえたら、嬉しい。物書きの大事な仕事だと思う。



先週、ぼくの目の前で倒れたお爺さんは多分、あの状況だと、お亡くなりになられた。けれど、むしろ、あれだけのことが目の前で起こるとそれを文章にする方が難しい。嘘くさくなるからだ。だから、救急隊員の一挙手一投足を詳細に記すことで嘘をなくすよう苦心して書いた。日記にむいているのは、息子が言った一言のような、普段見落としがちなどうでもいいことの方が書きやすい。それをぼくがどう思ったのか、そして、その一言がぼくの記憶のどこにフックしたのか、が大切である。

「辻さんの人生って毎日が波乱万丈ですよね」とよく言われる。ぼくは心の中で「実はあなたもかなり波乱万丈なのだけど、気づいてないだけですよ」と呟いている。作家は、そのなんでもない一言や出来事をちょっとだけスパイシーに書いているに過ぎない。或いはとっても細やかに見つめているに過ぎない。だいたい、深夜の4時に、起きてこんなこと書いていることが普通じゃないのだけど、それは同時に、自分に飽きない理由でもある。



この日記によく登場する息子はこの日記に沿って生きてるわけじゃない。彼は自分の人生を必死に生きているだけで、ぼくはぼくの人生を必死に生きている。でも、こういう運命の父子は、ここがパリということもあるし、シングルファザーであることとか、いろいろな要素が絡まって、ある種のドラマ的世界を作ってしまうのかもしれない。でも、同じようなシングルファザーの父さんの日常もさして変わらないと思う。なので、ぼくが読者の人に楽しんでもらいたいのは、ぼくらが抱える大変は=自分たちにも全部当てはまることなんだ、と思ってもらいたいということである。死にたいとか、諦めたいとか、逃げたいと思っている人に、ああ、世界ってどこも一緒なんだ、ちょっと角度を変えてぼくも、私も生きていこう、と思ってもらえるといいなと思う。そういう優しさや希望はこめていきたい。それも作家の仕事だと思っている。



いやはや、すっかり目が覚めてしまった。息子の寝言が聞こえてきた。あの子がフランス語で寝言を言った十年ちょっと前、この子はもうフランス人になっちゃった、と思った。その仏語の寝言を理解出来ない自分に驚いたりした。自分の息子が外国人になったわけだから、びっくりだ。なんで、パリにいるんだ、と思わない日はない。コロナのせいで、ますます、身動きが取れなくなっている。でも、ぼくは「作家でよかった」といつも自分に告げる。不意の離婚で死にそうになった時、ぼくは真夜中のキッチンで、「作家でよかったじゃん。書くことが増えて」と自分を慰めた。現実から逃げるために小さなアパルトマンに引っ越し、薄い壁を挟み、ベッドを並べて寝た。彼がうなされるとぼくはすぐに子供部屋に行き、その寝汗をかいた頭を摩った。母親のような気持ちで。でも、もう出来ない。今はぼくよりうんと大きな男だし、髭も生えている。でも、寝言を言うのだ。きっと、寂しい夜が幾千とあったはず。今は広いアパルトマンに越したけど、ぼくのベッドと息子のベッドは一枚の壁を挟んだまま、いつでも何かあれば駆けつけられる距離を保っている。あらら、もうこんなに書いてしまった。11時25分になった。今から、この雑文を配信する。

退屈日記「深夜の雑感」

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