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滞仏日記「息子の足裏に刺さった棘を抜きながら、人生刺抜きの術を教えた」 Posted on 2020/08/19 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、「パパって、めっちゃ変ってるよね。言われるでしょ?」
息子の足の裏に棘が刺さったので、針で棘を抜いてやることにした。黒い小さな棘だけど、ほっとくわけにはいかない。血管に入って、脳まで棘が登った人がいる。針先をコンロの火であぶって、消毒し、ほじくった。痛い、痛い、と騒いでいるので、わざと深く刺してやった。
「痛っ、何すんの? わざとでしょ?」
「ありゃ、手が滑った」
息子がふきだした。
「めっちゃ、変わってるよ」
ぼくは肩を竦めた。
「でも、そこが好きだって、若い頃はよく言われた。でも、きっと、そこがダメでみんな離れていくんだと思う。お前は一生パパの息子だから離れられなくて残念だな」
すると息子がニヤけながら、でも、飽きないし、面白いけどね、と言った。
「そっか、よかったじゃん。でも、お前も変わってる」
「うん、みんなに最近言われるようになった。さすが、パパの子だね」
「しかし、みんなと同じでなきゃいけないという生き方はパパには出来ない。いろいろとバッシングされるけど、自分の人生だからね、後悔したくない」
「パパ、ぼくも後悔したくない。どうしたらいいのかな?」
ぼくは息子の足裏にぐっと針を刺した。ゥぎゃあああああ、と息子が叫んだ。その次の瞬間、黒い棘が飛び出した。ぼくは刺抜きの天才なのだ。飛んだ棘を息子が指先でつまんで、パパ、凄いね、お医者さんになれるよ、と言った。ぼくらはひとしきり笑いあった。それから息子がぽつんと、こう言ったのだ。
「ぼく、最近、仲の良かった子と会えなくなったんだ」



人間は失敗を引きずって生きていく生き物であろう。失敗は後悔を伴うものだ。後悔というのは普通に生きている時に、ふっと現れて、幸福な時間をもいたぶり、揺さぶったりする。「あの時、こうしていれば」と思わない今日はない。その後悔をする今日というものは永遠と続く。しかし、今日は一瞬ではなく、生きている限り連続している。ぼくたちが生きる今日は、過去から未来へと続く不可逆の線の上に存在する一点ではなく、今日の中に実は過去も未来も存在する大きな空洞なのだ。後悔をいくらしても暗い過去をやり直すことはできないのと一緒で、どんなに未来を思い描いてもその未来を生きることが出来ない。振り返る過去も、思い描く未来もつねに今、つまり、今日の中にある。

滞仏日記「息子の足裏に刺さった棘を抜きながら、人生刺抜きの術を教えた」



「多分、それはぼくのせいで。ぼくが、その子の必要とした空洞を埋めてあげることができなかった」
「16歳が言うセリフじゃないな」
ぼくらは笑いあった。この子の周りの子たちはみんな真面目過ぎる。類は友を呼ぶので、こいつも真面目なのだ。でも、まだ、子供だから、不完全な真面目だ。
「とっても後悔している」
「後悔し続けるより、縁がなかったと諦めることが大事、誰も支配しない生き方が大事だ」
「そうだね」
「一度、縁がなかったと思って、吹っ切ってみると、新たなご縁が出来たりする。人間は誰も束縛することが出来ない。どんなに愛していても、愛されていても、だ。人間は人間を支配出来ない。支配したと思いこんでる独裁者は人々の心を見抜けない哀れな権力者に過ぎない。お前は過去に引きずられるより、今日を生きろ。未来にあこがれ続けるよりも、今日を切実に生きればいい。不思議なことに、一度、縁がなかった、と思うと、吹っ切れて、その子とのわだかまりが消える。お互いを縛ることが出来ないと理解出来た時、人間は楽になる。その後は、どうにかなる、よ」
「どうにかなるっていいね」
「だろ。セ・ラ・ヴィ」
「うん」



ぼくは棘を抜いた針を息子の目の前に差し出した。
「棘が足に刺さったら、まず、棘が皮膚から少しでも出ている場合は、毛抜きで抜ける可能性があるけれど、中に残ったり、折れたり、深く刺さってる場合は、毛抜きでは無理だ。なので、針を火であぶって、まず、足裏の皮膚をちょこっと切開し、棘の刺さった場所を、膿を出すみたいに、指でぐいと左右から押し上げると、棘がちょっと顔を出すので、結構出てるならば消毒した毛抜きで、まだ奥にあるけど見えてきたら、針をツツッとひっかけて抜くのが一番手っ取り早い。マキロンで消毒して、絆創膏貼っておく」
実はこれ、ぼくが子供の頃に父さんによくやってもらっていた。母さんは「出来ない」と言った。父さんが「俺がやる」と言って抜いてくれた。さすが父さんだ、と思った。だから、ぼくは息子の足の棘を抜く。それだけのことだ。
「パパ、棘が抜けてすっきりしたよ」

滞仏日記「息子の足裏に刺さった棘を抜きながら、人生刺抜きの術を教えた」

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