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滞仏日記「辻家のポリシーは代々、働かざる者、食うべからず!」 Posted on 2020/08/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子がもっとアルバイトさせてほしいというので家全体の雑巾がけをやらせることにした。お金欲しさというのはわかっていたが、彼は一時間あまりで家中の床をピカピカに磨きあげてみせた。自分の部屋はゴミ屋敷同然だったのに、お金が絡むとここまでやるんか、と驚く仕上がり。歩く度に床がキュッキュっと鳴って、気持ちがよかった。なんでも、VANSとかいうブランドのスニーカーを買いたいらしい。とてもお小遣いでは買えないので家庭内アルバイトを申し出たという寸法である。「これから4日置きに雑巾がけをやらせてもらえると、来月頭にその靴が買えるんだけど」と計画を打ち明けられた。ぼくはこういう狡猾なプレゼンに弱いので、これを認めることにした。実は、もう一つ、相談したいことがあるんだけど、と息子は言った。それは学校給食についてであった。9月から始まる新学期、彼は学校で給食を食べず、毎日家でご飯を食べたいというのである。おっと、それはダメだ、と言ったら、息子は血相を変えて、話しを聞いて下せ―、お代官様、と食い下がって来た。



この9月から息子は高校二年生になる。来年2021年の9月から3年生、再来年2022年の9月には大学生だ。フランスは小学校が5年制、中学が4年制、そして高校が日本と同じ3年制なのである。高校は日本の大学とだいたい同じ仕組みで、クラスはあるけれど、みんな選択科目別に授業を受けるので、クラスといっても、名簿上のものとなる。高一は必須科目、高2から選択科目のみ。フランスの高校はほぼ大学と同じシステムなのだ。違いは単位がないことくらいであろう。



で、息子は文系を選択したので、理系の高校なので息子は主流派ではない。午前中早い時間と午後の遅い時間に学校に行かなければならない。昼は理数系の子たちの授業が集中するのだそうだ。なので、学校給食を食べずに家に帰ってぬくぬくしていたい、という彼の作戦だった。しかし、ぼくとしてはのんびりしたいので、昼食の面倒までみたくない。この夏のバカンス中だけでも、ふーふーいいながら朝昼晩とご飯を拵えている。頑張っているのも、秋には解放されると思うからなのである。フランスの給食は一応、フルコースなので学校でうんと食べて貰える方がこちらとしては経済的にも助かる。
「でも、パパ、給食食べるために4時間も学校にいないとならないなんて不条理じゃない?」
「自習室で本でも読んでれば? 友だちと校庭で話し込めばいい。給食は安くて済むんだ」
「いやいやいや、月曜から金曜まで毎日、中四時間も学校にいるのは疲れる。うちで勉強したい」
「音楽やるんでしょ? 勉強なんかしないじゃん」
「パパ、ぼく、弁護士を目指すんだ。勉強しなきゃ、資格とれないよ」



ぼくは息子を自立させようと思っている。これは彼のために必要なことだ。早く、親を頼らない大人になってもたいたい。
「ならば、家にあるもので料理をして食べるのであれば許可する」
すると息子は「願ってもないことだよ」と偉そうに言った。
「実は、火曜と水曜は同じクラスのトマも給食の時間にいるから、二日間は給食を食べてもいいよ。じゃあ、こうしたらどうかな? 月曜、木曜、金曜は家で何か作って食べる。火曜、水曜は給食にする。パパが払う給食代は半分以下になる。どう?」
ぼくはこういう狡猾なプレゼンが大好きなので、それはいいアイデアだ、と許諾することにした。食材は冷蔵庫にあるもの使って、自分で作ればいいよ。
「あ、じゃあ、もう一つお願いがある。美味しいスパゲティの作り方を教えてほしい。昼はパスタにするよ」
ぼくはこいつのこの可愛いプレゼンが気に入った。いいだろう、教えてやる。話は成立。

そういえば、ぼくはお金がなくなると、しょっちゅう、親に金の無心をしていた。父さんに言うと怒られるので、こっそり母さんに頼むのだった。
「ヒトナリ、食べてないのかい?」
「バンドが大変なんだ。あと少しでデビューできるから、お願い。父さんに頼んで」
一度、夜中に父さんの電話で叩き起こされたことがあった。
「ヒトナリ。お前、いつまで甘えてるんだ。金の無心をすればなんとかなると思ってるんだろ。ふらふら、音楽ばかりやってる奴に与える金などない。働かざるもの、食うべからず、という言葉をお前にくれてやる。二度と電話してくれるな!」
父さんは酔っていて、電話を叩き切られた。デビュー当時、ECHOESの給料は月5万円だった。3万円の家賃、生活が出来るわけがない。数日後、母さんから現金書留が届いた。「無駄遣いをするな。これは母さんのへそくり」と書かれてあり、3万円が入っていた。母さんはぼくに甘い人だった。父さんはぼくに厳しい人だった。今のぼくが生きていけるのはこの二人の愛情の賜物なのである。息子にはぼくしかいないので、父さんと母さんの両方を演じてやらないとならない。甘やかす時も必要だし、本人のため、厳しくもしないとならない。働かざる者、食うべからず。これはぼくが今、息子に一番よく手向ける言葉でもある。

そして、あと約二週間で新学期が始まる。彼はこのコロナ・パンデミックの真っただ中、フランスで高校二年生になるのだ。 

滞仏日記「辻家のポリシーは代々、働かざる者、食うべからず!」



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