JINSEI STORIES
滞仏日記「息子の部屋はゴミ屋敷だった」 Posted on 2020/08/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、で、昨日の続きである。こっそりパリに帰ると、夜の23時を過ぎていたが、息子がいなかったので、どうしているの、と何食わぬ顔でメッセージを送っておいた。
「うん、大丈夫だよ」
「食べた?」
「うん」
「勉強しているの?」
「いや、ちょっと休憩してる」
「どこで? 今、どこ?」
ここで、返事が戻って来なくなった。ぼくは息子の部屋のドアを押し開け、灯りをつけたが、もぬけの殻であった。あの野郎…。しかも、めっちゃ凄いことになっている。いわゆるゴミ屋敷状態だった。暑かったからであろう、床に寝袋が敷いてあり、どうやらそこで寝ていたようだ。服とか、本とか、リュックとか、お菓子とか、よくわからないけど、全てをぶちまけていて、足の踏み場がなかった。冷凍食品など、食べ散らかしたものがそのまま床に放置されていた。酷すぎる。不衛生だし、これはなんとかしなければならない、と思った。
「もしかして、勉強してんの?」
返事がない。
「ちゃんと寝る準備出来てるの? あれ、変だな、家にいるよね?」
返事がない。
「どこにおると~? もしかして、外にいるのかな?」
返事がない。既読になっている。焦ってるに違いない。
「さては、パパがいないことをいいことに、夜遊びしてるのかなぁ?」
既読にもならなかった。
ぼくはキッチンに行き、お腹がすいたので、冷蔵庫を漁って、軽く食べられそうなものを引っ張り出し、調理して、つまんだ。新しいロゼワインをあけて、グラスについで、飲んでいると、一時間ほどして、ドアがガチャガチャと音をたてて開いたのだ。息子が血相を変えてキッチンに飛び込んできた。手にスケボーを持っている。時計を見ると、1時をとっくに過ぎていた。
「なんしよったと?」
「え、あ、友だちとすぐ近くの公園でスケボーやってた。パパ、帰るの、明日じゃなかったっけ?」
「心配だから早めて帰ってきた。遅く出歩いちゃダメだ。感染拡大してるんだ。気を付けろ」
「うん、わかった。手を洗ってくる」
息子が行こうとするので、
「部屋、なんで、あんなに散らかってるの? ゴミの中で寝てるようなものだ」
と告げた。「ああ、明日片付けるよ」と息子が言い残したので、その背中に向かって、「ダニがいるぞ、かたずけないと、ダニ、と投げつけた。
「ダニって、なに?」
「虫だ」
「虫がいるの?」
「刺すんだ。刺されてないか? どこか?」
息子が二の腕の赤い斑点をぼくに見せた。
「これ、ニキビでしょ?」
「いや、これはダニだ。やばい、ダニ屋敷だ」
息子がビビってるのが分かった。彼は小さい頃から虫を異常なほどに怖がった。そこを利用して部屋の片付けをさせるしかない、とぼくは思いついたのだ。ビビらせるしかない。ぼくは息子が部屋に消えた後、ネットで「ダニ」を検索し、ダニの拡大写真や、刺された人の腫れた痕の、できるだけグロい写真を選んで送りつけてやった。かなり痺れるダニ写真だった。
すると、30分ほどして、珍しく、日本語でメッセージが戻ってきた。息子にしては長いメッセージであった。普段は、「oui」しか、送ってこない奴が、多分、今まで最長のメッセージ、しかも、日本語のメッセージを送りつけてきた。
「わかったよ。それで何なのこれ?でも刺されたアト、前からあるんだよ。もっと情報ほしぃなぁ。写真だけじゃわからない😀 明日部屋片付けるから おやすみなさい」(原文、ママ)
😀、こんなマーク、はじめて送られてきた。相当にビビっていることが伝わってくる。そこで、ぼくは「イエダニ」に関するありとあらゆる仏語の解説文を集めて、彼に送りつけてやった。身の毛もよだつダニの映像をYouTubeで見つけて、それもついでに送り付けた。もう返事はなかったが、その30分後、シャワーを浴びてる男がいた。深夜なのに、風呂場の方から、めっちゃ激しい、シャー、シャー、シャーというシャワー音が響き渡っていた。
翌朝、今度は子供部屋から掃除機の音が聞こえてきた。覗くと息子が部屋の大掃除をしている。ぼくは床拭きの道具一式を持って行き、手渡した。
「掃除機だけじゃ、ダニは消えない。床とか、ベッドの裏とか、机の下とか、隅々、綺麗に拭き取らないといけない。それから床に放り出していた服にもダニがついてるかもしれないから、洗濯しなきゃダメだ。もちろん、ベッドのシーツとか、枕カヴァーもすべて洗わないとダメだ。全部をキレイにしないとダニは消えない。あれは目に見えないくらいに小さいから、ほっとくとコロナウイルスみたいに増殖して、吸血するんだ。吸血虫だ。とことん拭き取らないとダメなんだよ」
昼食の準備が終わり子供部屋を覗くと、息子がぐったりしてベッドに倒れ込んでいた。シーツやベッドカヴァーは洗濯の途中のようだった。
「そのベッドマットね、太陽の光りで干さないとダメだ。そのマットの中にも虫がいるかもしれない。太陽が出ているうちに、窓際で光りにあてなさい」
息子は跳ね起き、えええ、と叫んだ。実は、ベッドの掃除はぼくが毎月やっている。シーツも毎週換えている。彼はそのことにさえ気づいてない。マットも時々干している。でも、今回は、怖がらせて自分でやる癖を付けさせる必要があったので、甘やかさないことにした。パパに嘘をついた罰だった。やっぱり、父ちゃんの方が人間を長くやってるだけあって、賢かった。えへへ、😀
多分、これで暫くの間、息子の部屋は衛生的なはずである。成長とはきっとこういうことの連続の中で起こる奇跡なのかもしれない。