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滞仏日記「息子に、初のアルバイト代を払う」 Posted on 2020/08/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子のアルバイトは三日坊主で終わらなかった。7月が終わり、31日が来たので集計をすることになった。これに書いとけよ、分からなくなるから、と言って渡した小さな帳面にバイトが終わるたびにコツコツとメモしていたようだ。数えてみたら、全部で16回であった。うち一回は窓拭き、残りは皿洗いで、よく見ると、時間も10分、20分、15分とまちまちだった。

でも、7月11日から、24日まではだいたい毎日やっていて、昼と夜の二回やってる日もあった。一時間で10€、(日本円で1200円前後)となる。15分食器を洗うと300円になる。窓拭きは多少、骨の折れる仕事なので、特別に一時間15€(1800円)とした。計算をすると、彼の今月の収入は、47,5€となった。日本のアルバイトの時給よりも、良すぎるという批判はあると思うけれど、物価が圧倒的に違うので、10€=1200円がぼくの肌感覚だと、10€=1000円弱くらいじゃないか、と思う。基本給の、あ、間違い、基本小遣い30€を足して、77,5€となり、日本円でだいたい9千円となった。実質、8千円だと思ってほしい。

滞仏日記「息子に、初のアルバイト代を払う」



しかし、この金銭感覚というのは学校では教えない。フランスの子供たちはアルバイトが出来ないので、社会に出るまで金銭感覚を肌で感じることがない。そういう意味で、家庭内アルバイトはいい勉強になる。ぼくから「やれば?」ということはしない。お金が欲しければ働き、働いた分だけ、お金が貰えるという仕組みである。

ぼくにとって、息子を一人立ちさせるということは、ちょっと日本的な世間一般の感覚とは違ってる。異国で生きる、親戚もいない息子を、45歳差のおやじが育てているのだから、成人したら、一人で生きていくように、羽ばたかせることが今のぼくの使命なのかもしれない。鳥の親は、子供たちが羽ばたく瞬間を、どういう気持ちで見送るのか、痛いほどぼくにはわかる。うまく飛べずに落下する子もいるのじゃないか。でも、助けることはできない。人間も、きっとある意味、一緒なのである。なんとか、飛ぶことが出来た時、見送る親は、よかった、と安堵するはずだ。息子が帳面に、一つ一つの仕事量をメモしていたことには、期待、が起きた。自分がやったことに、正当な権利を主張したのだから、それは大人の行動と言える。なので、ぼくは、帳面の最初のページの一番最後に、「良い、パパ」と書いた。ハンコも押してあげた。会社っぽじゃないか。



夕食後、息子が僕の仕事部屋にやってきて本棚から仏語翻訳版の「旅人の木」をひっぱり出して、「読んでもいい?」と言い出した。いいよ、読んでご覧よ、と言った。息子が僕の本を読むのは、彼にとって、生まれてはじめてのことであり、同時に、ぼくにとってもはじめての経験であった。ここのところ、ギクシャクしていたので、不思議な和解の瞬間でもあった。息子がぼくの作品に没頭している様子があまりに奇妙だったので、いや、気恥ずかしかったので、ぼくは外出することになる。

ぼくはエミールと代車を取りにモンルージュのガレージまで行った。借りた車はルノーの「カプチュール(捕獲)」という名前の車だった。カルロス・ゴーン時代の名車だった。家に帰ると、息子がちょうどぼくの本を読み終える瞬間でもあった。早っ。何か試されているような不思議なドキドキを味わった。集中して二時間ほどで読み終わった息子に、
「どうだった」
と訊いたら、
「うん、よかったよ」
と返事が戻ってきた。何がどう、よかったのか、わからなかった。怖くて、それ以上、ぼくはつっこんで訊けないでいた。それでも、息子がぼくの作品を自ら読みたいと言い出してきてくれたこと、そして、それを短時間で集中して読み切ってくれたことは、辻家の快挙でもあった。

30歳の頃に書いた本を16歳の息子が読んで、60歳になったぼくが、どうだった、と訊いている。時代は巡る、である。彼に何かをパス出来たのであれば、いいのだけど…。そして、他人に振り回されるような7月が過ぎて、いよいよ8月が始まることになった。

滞仏日記「息子に、初のアルバイト代を払う」



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