JINSEI STORIES
滞仏日記「音楽に突き進む息子とそのせいで心痛める父ちゃん」 Posted on 2020/07/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子に対して一方的に怒っていたぼくだが、どうやら息子はぼくが怒っているとは全く気が付いてなかったみたいで、昼食の時間に、自分の将来について語り始めた。それは前から聞いていた好きなことを追求して生きたいという話しで、そのために彼は自分が望んで進んだ理数系の高校で理数を選択せずその学校では弱い文系を選んでしまった。それがどうも、音楽の世界で知り合った2歳上の先輩、シルバンの影響らしいということが、今日、食事中に判明したのである。シルバンはロックとヒップホップの歌手だ。
苦手なものを頑張って学んでも自分のためにはならない、と息子は言い切った。どうもシルバンの受け売りのように聞こえてならなかった。息子は頑固なので、一度言い出したら聞かない性格。そこはぼくにそっくりで、光りを見つけたみたいに力説する息子を遮ることが出来なかった。しかし、フランスという国は中学高校までにほぼ道が決まってしまう。ぼくも自由なことをやってきた人間なので、自分を信じてガンガンやれよ、と言いたいところだが、フランスは階級社会だし、日本以上に学歴社会だったりする。息子の幼馴染たちは親がフランス人だし、そこそこ裕福で、家を持っていたり、親族などに恵まれているが、うちの子にはこの国に親戚も、家もない。
なので、ある程度、ちゃんとした仕事、たとえば公務員でも、会社員でも、エンジニアでも、堅固な道へ進むとなれば、それなりの覚悟を持って頑張らないと難しいのだ。パティシエとか料理人も中学生から専門の学校に入り、そのことだけに専念する。政治家を目指す人はその専門の学校が存在する。日本の専門大学のような学校の方がこちらではレベルが高かったりする。逆に一般の大学を出ても、就職に有利とはならない。中学高学年から、高校2年生くらいまでの間に将来を決めないとならないのだけど、うちの子は、明確な将来のビジョンがあるわけでもなく、その上、あっさり理数を放棄し、文系を選んでしまった。
音楽では食べていけないことも理解しているが、親の忠告に耳を貸さず、会ったこともない先輩の後を追いかけている。その上、日本人だから、全てが不利なのだ。優秀な子なのに、現実から逃げているのが、親としては癪に障る。人口が日本の半分のフランスで、音楽ではどんなに頑張っても生活は難しい。このままでは、ぼくが死んだら…。
ぼくの父は、40年前、ロックで食べていきたい、と言ったぼくを応援してくれた。母も、やればいいよ、と言ってくれた。でも、時代が違う。80年代の日本には余裕があった。コロナがここまで不安定な要素を持ち込んだ今のこの世界で、しかもCDは売れず、今はライブさえもできない。この先、感染症がいつ収束するのか、誰にも分からない時代にミュージックで食べていくということを勧める親は限られている。
息子に腹が立ってしょうがなくても、可愛い我が子である。自分は還暦なので、身体も強い方ではないし、もしものことがあれば、彼はこの国で一人ぼっちになる。なんとか、安定させたい、と思うのは親心というものだ。そのことを考えると、午後は全く仕事が手につかなかった。息子は友達と遊びに出かけたが、ぼくはソファに寝転がり、天井を眺めて過ごしていた。綺麗な光りだった。もう少し若ければなぁ、と思った。なんとかしなきゃ、…。
夕方、ロマンのバーに飲みに行くと、ロマンがギターを持って出てきて、ビールごちそうするから、弾いてくれよ、とせがんだ。彼はぼくのライブにもよく遊びに来る。常連の連中が出てきて、笑顔で、聞きたい、と言い出した。ぼくは自分を取り戻したい時、路上で歌う。60歳になっても、それが僕の原点なのかもしれない。歌うのは好きだ。ストレスがふっ飛ぶ。音楽があってよかった。ギターを掴んで、ブルースを歌った。フランス人の中年オヤジたちが喜んでくれた。これが音楽の素晴らしいところだ、と思った。16歳の息子が音楽に向かう気持ちを否定はできない。あいつが幸せなら、そういう生き方だってある、と自分に言い聞かせた。
夕食の時間に、息子が帰ってきた。頑張って料理をする気にならないので、残り物でちゃちゃっと焼き鳥などを拵えて出した。会話もなく、無言の時間が流れた。ぼくが食べ終わるのを待つかのように、今日はエリーとずっとパリを歩いたんだ、と息子が切り出した。エリー? 知らない子だった。ネットで出会った子か? うん、でも、何年も前から知ってる。ぼくの音楽を応援してくれている。一番の理解者だ。ぼくの曲を宣伝してくれる。そうか、よかったな、とぼくは浮かない返事をした。
「歩きながら将来の話しをしたんだ。将来の自分のこと」
そこで、ぼくは席を立とうとした。この話しを聞いてやれる力は残ってない。そこで、捨て台詞を吐いておいた。
「パパは、お前に何も残せない。家も財産も期待するな。パパが生きている間は好きに生きてもいいけど、その先は自分で頑張るしかないんだ。音楽なんかで食っていけるという幻想は捨てろ」
自分を否定しているような悲しい気分になった。すると、息子がくすっと笑い、なんだよ、と呟いた。
「だから、今日、エリーに相談をしたんだ。彼女はぼくの一つ年上で、しっかりとしたビジョンを持っている。彼女はシアンスポー(政治家を目指す子たちが行く特殊な大学)を目指している。高校を出てから、予備校に入らないとその大学には行けないんだって。でも、彼女も理数系じゃない。でね、今日一日中話をして、エリーが、あなたは人と人を繋ぐのが上手だから、そういう仕事をやればいい、と教えてくれた。ぼくがずっと悩んでいたことを一瞬で見抜いて、アドバイスをくれた。音楽をやったら、とは言わなかった。シルバンからは夢を教わった。エリーからは現実を教わった。彼らはぼくよりも少し先を生きている。シルバンも正しいし、エリーも正しい。とっても参考になったよ」
ぼくは浮かせていた腰を椅子に戻した。そして、微笑んでいる息子の顔を見た。そうか、とぼくは言った。
「それは素晴らしいアドバイスだと思うよ」
ぼくにできることは、少しでも長生きをして、この子の傍にいてやることかもしれない、と思った。