JINSEI STORIES
滞仏日記「やっと旅先の息子と話すことが出来た。彼が見つけた幸せとは」 Posted on 2020/07/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子がアンナちゃんの家族と夏休みの合宿旅行に出てから一週間ほどが経った。毎日、「Ca Va?(元気?)」とメッセージを送っていたが、「oui(うん)」しか戻って来ないので、それが何日も続くものだから、さすがにこのやりとりだけじゃいかんと思って、ついに、父ちゃんは重い腰をあげ、息子に直接、電話をかけることになった。
「毎日、何してんの? どんな生活おくってるの?」
「うん、楽しいよ。大丈夫」
「あのさ、大丈夫って、もうちょっと具体的に教えてくれない? 一応、ひと様の家に息子を預けてる親の身としては心配なんだよね? 手伝いとかしてんの?」
「あ、ご飯たべたら、ぼくも食器洗ってるよ。順番で片づけないとならないんだ」
「へー、皿洗いとか出来るの? だいたい、そこ、どんなところなの?」
「とっても田舎の家だよ。周りに何もない、畑とか草原とかの途中にぽつんと建った、本当に小さな村の一角の古い家、豪華じゃないけど、でも、とっても居心地のいいところだよ。庭があって、ハンモックが木と木の間ぶら下がっていて、そこで昼寝することもあるし、庭で食べる時もある。パリとはぜんぜん違う。家が周りにないから、星がきれいで、みんなといろいろなことを話すんだ。」
「何、食べてるの? 毎日」
「パパの料理みたいな手の込んだものじゃないよ。びっくりするくらいシンプルなものばかりだよ。でも、それがとっても新鮮なんだ。つまり、普通の家庭の味だよ。みんなで大皿に盛られたパスタとかチキンとかに手を伸ばして食べる、大家族の中の自分に、わくわくしている。毎日、家族っていいなぁ、と思ってる。アンナには妹が二人いて、その子たちとも、その子たちの友だちたちとも、たくさん話をしている。みんなで海に行ったり、近くの町まで行って散歩したり、そうだ、夕食の手伝いもした」
普段はとっても大人しい子なのだけど、ウキウキがとっても伝わってくる。二ヶ月ものロックダウンが続き、ほとんど家から出なかったあの16歳の声は弾んでいる。コンピューターの中だけで生きている日々とは違う、リアルなものがそこにあった。
「二階に3室あって、3つのグループに分かれて寝るんだよ。ぼくはアンナとアンナの友だちのマエとリリーと同じ部屋なんだ。4つベッドがあって、布団とか全員分無いから、そこに寝袋を置いて寝る。アンナの従兄のお兄さんたちも途中から合流したから結構賑やかだった。毎晩、遅くまでみんなで話し込んで、家族の一員みたいで、和気あいあい。アンナのお母さんはぼくを自分の息子のように扱ってくれるので、たくさんお手伝いもやったよ。ごみを出したり、買い物に付き添ったり、お風呂を洗ったり。パパ、帰ったら、ぼくが毎朝、朝食セットを作るね。大家族は、食堂のテーブルの上に、お母さんが毎朝、パン、ヨーグルト、オレンジジュース、ジャム、バター、ハム、茹で卵なんかを並べるんだ。料理とかじゃないけど、それがとってもいいんだよ。起きた順番で食べるんだけど、子供たちの中ではぼくがいつも一番最初に起きるから、アンナのお父さん、お母さんと三人で食事になることが多い。あのね、こういう幸せもあるんだって、気が付くことが出来た。経験になった。大家族っていいなぁ、と思った。ぼくも大人になったら、誰かと結婚をして、家族を作って、田舎で暮らして、子供たちと一緒にご飯を食べたい。高級料理じゃなくても幸せなんだ、昼も夜もシンプルなピザとかパスタだけど、でも、みんな幸せなんだよ」
「アンナのお父さんに呼ばれて、一緒に、壁にペンキを塗ったり、家具を直すのを手伝ったりもした。古い家を買ったので、まだ、立派じゃないんだけど、でも、少しずつ、手作りで、家族の思いを込めて、自分たちの居心地のいい空間に作り替えているんだ。そこに参加出来て嬉しかった。血が繋がってないし、一人だけ日本人なんだけど、でも、みんな本当に優しくしてくれている。というか、普通なんだ。優しいことが当たりまえ。構えてないし、優しいふりもしない。だれに対しても特別扱いがない。それがね、お手伝いって、すごく楽しいんだよ。そこに参加できること、誰かに認めて貰えること、信頼して貰えること、大人として扱って貰えていること、全てがとっても素晴らしいんだ。ぼくは家では何もやらない子だけど、でも、ちょっと変わったもしれないよ。これをやりなさい、あれしなさい、というのがなくても、しなきゃって勝手に身体が動くんだ。自分から仕事を見つけていくというのか、直したり、片付けたり、誰かに何か言われる前に、自分で率先して考えてその中の役割をこなしている。毎日、そんな自分にびっくりしているよ。そういう家族の中に居られて、今はとっても幸せだから、心配しないでいいよ。メールで書けないんだよ。パパはフランス語読めないし、ぼくは日本語書けないし、だから、いつもouiだけだけど、でもそのCa Va?とouiのあいだにこんなにたくさんの大切なことがあるんだよ。だから、心配しないで。パパはパパの時間を楽しんで、もっと話したいことがあるけど、それは帰ったら、ちゃんと話すからね」