JINSEI STORIES
退屈日記「水漏れで崩落した天井に壁画を描く」 Posted on 2020/07/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、半年前に突然、子供部屋の水漏れが始まり、辻家は大パニックになったけれど、一昨日、今度はトイレで水漏れが発生し、今日、業者が工事にやってきた。なんと、この半年で5回目の水漏れとなる。さすがに、ぼくは激怒した。しかも、最初の水漏れの後も同じ場所で大規模な水漏れがあったので、壁の湿度はどこも100%。なので、いまだ工事が出来ずにいる。なんでこんなに水漏れが続くのか、原因は建物の古さだ。19世紀末に出来た建物だから、仕方ない。その歴史的建造物で暮らしたかったのだから、ぼくにも責任がある。古い分、安かったし、雰囲気もいいのだ。ところで、天井の一部が剥がれて、中身が丸見えで、湿度が0になるまであと半年…、このような状態の天井を見上げながら過ごすのが嫌だから、ぼくはここに落書きをすることにした。
どうせこの玄関の壁は全て塗り替えないとならない。壁は3メートルちょっとの高さがある。そこで脚立を持ちだし、マジックを持って一番上まで登り、壁に下絵を描くことにしたのだけど、これが想像をしていたよりも難しかった。何か描こうと思っても重力のせいで手が伸びない。脚立の上に立っているのでバランスも悪く、思うように描けない。しかも、首を曲げて変な恰好で見上げているので、首の背後はもちろん、肩とか背骨とか腕とか腰とか、異常に痛い。細字のマジックで下書きをしているのだけど、上向きで描くせいでか、すぐに乾いてしまい、インクが出なくなる。息子が下でげらげら笑っている。しまいに、携帯持ち出して撮影をはじめた。
「パパ、落ちないでよ。病院とか行くの嫌だからね」
「だったら、ちょっと、押さえておいてくれよ」
変な親子である。
ふと思い出したのが、バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画である。ミケランジェロはどうやって、どんな格好で、しかも、あんな高い場所で、あの名画を仕上げたのであろう。と、ここで調べて見たら、やはり高い脚立を組んで上に登って描いたらしい。ぼくは5分も正直、集中できなかった。ミケランジェロはあの天井画「創世記」を4年で描いた。寝転んで描いていたと昔は言われていたようだが、実際にはぼくと同じように立って、首を曲げて描いていたのである。その巨大な脚立の設計まで自分でやっている。いやはや、物凄い努力だ。天才って、この努力をやった人にだけ与えられる称号なのかもしれないね。5分で音を上げたぼくだけど、ここで、奮起して、天才目指して、今日から毎日、この天井が取り壊される日までここに天井画を描き続けてみたい、と思った。(なんで?) つまり、人生の物凄い息抜きになるし、天井画なんて、描こうと思っても適した天井がなければ出来ることじゃないからだ。