JINSEI STORIES
第六感日記「虫の知らせということについて」 Posted on 2020/06/29 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、最近、とくによく起こるのが、動物とか虫とか、人間ではないものから届くメッセージというものがあって、先日のカモメもそうなのだけど、とくに虫は用心をしていると、何かの意志の媒介のような役割を果たしていることがよくある。奇妙に感じるかもしれないけど、今から30年前、ぼくはとあるご縁で瀬戸内寂聴先生と知り合い、これも不思議な出会いだったが、そのことはまた今度に譲るとして、「辻さん、天台寺に遊びにおいで」と誘われ、当時先生が住職をされていた岩手県の天台寺に行くことになった。前泊し、明け方、太陽が昇ったのと同時に天台寺を目指して小さな山道を歩き出したのだけど、ぼくはまもなく道に迷った。一時間ほどうろうろしているとぼくの行く手にトンボの大群が出現し、前に進めなくなった。それは凄い数のトンボで、普通なら恐ろしくなり逃げ出すところだけど、ぼくは好奇心が昔から強かったので、じっと見ていたら、その中から一匹が飛んできて(代表者みたいな感じで)、ぼくの目の前にとまった。山道なので鉄製の欄干のようなものがずっと上まで登っていたのだけど、そこにとまった。で、ぐるぐる回っていたと思うと、まもなく、こちらを向いてピタッととまった。二メートルくらいの距離だったと思う。ぼくはもちろん、手を差し出した。おいで、と心で思ったら、そのトンボが飛んできて僕のてのひらにとまり、再びぐるぐるとまわりだし、そこはちょうど三差路みたいな場所だったのだけど、一つの道を指して、またもやとまった。「こっちです」と聞こえたので、そのトンボに導かれて天台寺に行くことになる。天台寺につくと、トンボはいなくなった。逆に、何かに呼ばれたような気がしたので、寺の裏手に回ると、大きな大樹が聳えていた。朝早かったし、誰もいなかったので、暫く見上げていると、懐かしくなって、いつものことだね、ぼくはその大樹に抱きついてしまう。すると、「辻さん」と声がした、いよいよ頭がおかしくなったか、と思った。大樹が喋ったと思ったからだ。そうじゃなく、それは先生の声だった。振り返ると、寺の裏手に先生が立っていた。「その木はここのご神木だよ」と先生はいった。「あの、トンボに導かれて着いたら、この木が…」というと先生はあの顔で大笑いをされていた。あれから、瀬戸内さんとは長いお付き合いをさせてもらっている。なんか、最近、先生のことをよく思い出す。
動物はまだ意志を持っているけれど、虫というのは何か、メッセンジャーのような役割をしていて、魂の伝達のようなことをやるのかな、と思うことが度々ある。僕のおじが死んだ時、おじは童話作家(東君平さん)だったけれど、彼のお墓に1人行った。ぼくはおじを尊敬していたが、だから、お墓に行ったのだけど、その手前でどうしても前に進めなくなった。大きな蜂がぼくの前で、「来るな」と言ったのだ。それでも、ぼくは必死で行こうとしたのだけど、蜂の抵抗がすごかった。ぼくの目の前で滞空し睨みつけてくる。何か、複雑な気持ちになり、落ち込んだ。おじは46歳で他界した。あの時、おじには何か強い無念があったのかもしれない。そういうことをよく思い出す。
ぼくは昔から蜘蛛を殺すことが出来ない。蜘蛛は昔から家の守り神と言われてきたが、実は不思議な経験があった。ぼくの仲の良かった友だちが死んだ日、どこからともなく蜘蛛がやって来て、その時、ぼくは原稿を書いていた。まだ手書きで小説を書いていた頃だけど、その原稿用紙の上の「死」という文字の上で動かなくなった。指先で、とんとん、と追い出そうとするのだけど、暫くして戻って来て、400文字もある原稿用紙の「死」の上でとまるのだ。その夜、友人が他界した。
虫とか動物からのメッセージには違う次元からの意志を感じてならない。先日の日記で書いたノルマンディのカモメも明らかに強い意思を持っており、何かを伝えるために、ぼくのところにやってきたのだ。偶然を装って…。人間だけがこの世界で生きているわけじゃなく、様々なものが同次元に存在している。それは恐ろしいことではなく、逆を言えば、ぼくらはもう少し謙虚になるべきだ。そして、虫や動物たちは、ぼくやあなたが、魂のレベルでこの星の一員であることを教えてくれるメッセンジャーでもある。大きな気持ちで空を見上げてみよう。