JINSEI STORIES

滞仏日記「意見がバラバラの人間を満足させる献立を考える術」 Posted on 2020/06/19 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝一でニコラのお母さんから電話がかかって来て、でも、ちょっと様子が変で、泣いているのか、声をつまらせている。「一晩でいいので、二人(ニコラとマノン)を預かってもらえないか」と言うのだ。ロックダウン前にはうちに泊まったこともある二人だけど、コロナが流行ってからは一応、学校も閉鎖されていたし、このような状況だったので、ずっと遊びにも来るさえが出来なかった。しかし、辻家にとっては大切な隣人でもある。何か事情がありそうなので、二人を一晩預かることにした。理由を聞くのはフランスでは失礼な場合があるので、あえて「大丈夫?」とは聞かないことにした。ぼくに出来ることは美味しいご飯を作って、子供たちの心をリラックスさせてあげることくらいだ。



ぼくがちょっと悩んだのは献立であった。献立はぼくと息子と二人切りの時でも毎日決めるのは大変、なのに、その上、子供が二人増えるのである。主婦の皆さんはどうしているのだろう? うちの16歳はダイエット中で、夜は炭水化物を一切とらない。ボリューミーな料理は昼にとり、夜は割と軽めなのだけど、せっかくニコラ(9歳)とマノン(13歳)が来ているのに軽食というわけにもいかない。さて、悩んだ。ニコラは野菜嫌いで肉好き、マノンはお寿司好きだけど肉は嫌い。息子は何でも食べるけど夜は炭水化物抜きダイエット、である。バラバラやん、ということで、主夫の悩みは尽きない。まず、息子に「今日だけはお客さんが来るから最低限の炭水化物は食べてくれ」と頼んだ。ニコラとマノンには前もって、リクエストを聞いておいた。二人は「アジアのご飯が食べたい」と言った。「マノンは甘いお寿司が食べたい」と訳の分からないリクエスト、ニコラは「お肉のお寿司」とさらにわけのわからないことを言った。くらくら…。ということでシングルファザーの鉄人は一計を案じた。そして、結果から言うと、ぼくが作ったランチとディナーはこうなった。

滞仏日記「意見がバラバラの人間を満足させる献立を考える術」

※ランチは、おいなりさん、豚しゃぶうどん、茄子豚みそ焼き、キャベツの漬物

滞仏日記「意見がバラバラの人間を満足させる献立を考える術」

そして、お肉のお寿司。(笑)

滞仏日記「意見がバラバラの人間を満足させる献立を考える術」

※ディナーはインゲンと鴨のサラダと、

滞仏日記「意見がバラバラの人間を満足させる献立を考える術」

ローストチキン。炭水化物抜きダイエット中の息子には受けた。ニコラ君、このチキンは世界一美味い、だとか。よかった、献立の鉄人。

滞仏日記「意見がバラバラの人間を満足させる献立を考える術」



アジア飯ということなので、甘いお寿司はおいなりさんにした。魚好きなマノンのために、中に鮭といくらをのせてみた。肉のお寿司は相当に悩んだけど韓国のキンバにした。肉の太巻きである。そして、耐水化物抜きダイエットをしている息子にはチキンの丸焼きを作った。みんなで分けられるし、一羽で買うと一人当たりの食費がぐんと安くなる。チキンにはジャガイモをつけた。ジャガイモは炭水化物が含まれているけれど、白米に比べると4分の1程度。(笑)。おいなりさんとキンバには関西風のおうどんを付けてあげた。お肉が残ったので茄子のみそ炒めも添えた。子供たち3人は大満足だった。ニコラが「最高に美味しい肉のすしだね」と言った。ぼくは笑った。
 夕食後、キッチンで食器を洗っていると、マノンがやって来て、
「センセー」
と日本語で言った。ここのところ、なぜか、マノンにはセンセーと呼ばれることが多くなった。きっと漫画の影響だろうと思う。なんだね、と先生風に答えてあげた。
「パパがママを押したんです。こんな風に」
マノンが真似をしてみせた。どういうシチュエーションなのかわからないけど、気になる。
「二人はずっと言い合いしていて…。ママが泣いて。昨日は寝れなかった。パパは優しい人なんだけど、コロナのせいで仕事がうまくいってないみたいで、きっとストレスが溜まってるんです」
 ぼくはびっくりしたので、ニコラとかうちの子に訊かれてないか、廊下の先を覗き込んでしまった。こういう時に何を言えばいいだろう。どうやって彼女の不安を払拭してあげたらいいだろう。
「どういう風に話が出来るかわからないけど、一度、機会を探して、パパと話しをしてみるよ。でも、こういう問題は君のパパとママが自分たち解決しないと。喧嘩をしたら、二人で仲直りをしないとならないね。ぼくがもし、二人の間に入るとしたらニコラや君に何か問題が生じた場合だと思うよ。だから、その時はいつでも直接連絡をしてください。飛んでいくよ」
ぼくはそう言って、マノンとワッツアップ(フランスのライン)を交換したのだった。なるほど、そういうことだったのか。お母さんが泣いていた理由が分かった。
「マノン、ピカー(冷凍食品会社)のケーキを食べるか?」
「うん」
マノンが笑顔になった。背は高いけど、この子もまだ子供であった。ダイエット中の息子抜きで、三人でケーキを食べた。
「ニコラ、それ食べたら、お風呂に入るんだよ。自分で出来るね?」
「うん」
とニコラは返事をした。
「あのね、ムッシュ・ドロール」とニコラ。
ドロールというのは「変な」という意味、つまり変なおじさんということである。
「なんだい?」
「ぼく、ずっとここに居たい」
ぼくはマノンと目があってしまった。数秒の沈黙だったが、とっても長く感じてしまった。
「…いいよ」
とぼくは言った。
「ほんと?」とニコラが笑顔になった。
「今年の夏はどこにもいかないから、よければ、二人で二週間くらいここにバカンスに来れば? 肉のお寿司と魚の甘いお寿司が食べられるよ」
二人の顔が不意に笑顔になった。やれやれ、余計なことを言ってしまったじゃないか、と心の中で自分に呆れ返っていたけれど、どうせ、コロナのせいで、どこにも行けないのだ。夏はパリで、献立修行といくか。

自分流×帝京大学