JINSEI STORIES
滞仏日記「ハッピバースデイの無い日は無い、毎日が有難い」 Posted on 2020/06/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、毎年、思うことがある。或いは、毎日のように思う時もある。昨日も、今日も、明日も、誰かの誕生日なのだ。一年、365日、思えばどの日も誰かが生まれた日だということ。どの日を選んでも必ず誰かが生まれている。年中、世界のどこかで誕生が祝われているということになる。当たり前のことではあるが、これが当たりまえだからこそ、逆に凄いことだと思った。誰かがどこかで「おめでとう」と言われている。北半球でも、南半球でも、飢餓が続くアフリカでも、ロンドンの集中治療室でも、インドと中国の紛争地帯でも、新型コロナが猛威を振るうブラジルでも。
今日は辻恭子さんの誕生日であった。先月、弟に確認をした。そろそろ母さんの誕生日じゃなかったっけ? すると弟が電話口で6月16日だよ、忘れないでよ、と言った。なので、忘れないように携帯のリマインダーにメモしておいたのだが、小説の締め切りが迫って連日の徹夜続き、すっかり忘れてしまっていた。昼前、息子に、「パパ、今日だよ」と教えられた。慌てて母さんに電話を掛けることになった。呼び出し音がなり、母さんが出た。
「お誕生日、おめでとう」
「あら、ありがとう」
穏やかな声で母さんは言った。
「85歳になったんだよね?」
「そうですよ、偉いことになりました。こんなに生きるとは思ってなかったのでびっくりしています。ありがとうね、あなたは忙しいのに、わざわざ電話をかけてくれて」
と母さんは言うのだった。
「でも、ひとなりから電話があるだろうとは思っていましたよ」
しかし、母さんはさらっと言った。
「なんで?」
「だって、先月、あなた、つねひさに私の誕生日を聞いたんでしょ? 聞いたということは電話が来るな、と誰でも思うでしょ? 実際にこうやってかかってきました。だから、私はこの一月、ずっと今日を愉しみにしていたんですよ。ひとなりから電話がかかって来る、声を聞かせてもらえると思うと、毎日がね、感謝しかないし、コロナで大変な時だけど、毎日、ちゃんと元気で生きて、その日を迎えなきゃと思うでしょ。そこに生きる意味があるということは、有難いことで、この上ないことで、忙しいのにお心遣いに感謝します」
ぼくは笑った。こういうところが母さんなのである。母さんはなぜか自分の息子にも敬語を使う。なぜだろう、くすぐったいけど、ある時から敬語が普通になった。しかし、この敬語は年下の人間が目上に使う敬語とはちょっと違う。母の躾なのだと思う。こういう言葉遣いのせいで、ぼくは常に背筋を伸ばし続けないとならない。ちゃんとやっているのか、ということの裏返しが、有難いことです、この上ないことです、には含まれているのだ。
「皆さんに、いろいろとしてもらい、有難いことです。この上ないことです」
と母さんは繰り返した。あまり言われると、身が引き締まり続けるのでどこかでそれを遮らないとならなかった。ぼくの母とはそういう人であった。
「うん、長生き、おめでとう。変わるね、横にいるから」
ぼくは逃げるように、息子に携帯を手渡した。息子は携帯を奪い取ると、それを持って自分の部屋に行った。話しを聞かれたくないのだ。息子と母さんの間には二人の関係があるので、ぼくは立ち入らないようにしている。息子はババっ子なのだ。おばあちゃんが大好きで、あの子はぼくの母さんに育てられた。毎年、もう何年も、必ず夏休みの期間中、ずっと二人で過ごしている。だから息子の中にはたくさんのおばあちゃんとの思い出がある。だから、息子はぼくの母さんを本当に大切にしている。もうそんなに長くないことも知っている。だから、言葉を交わせる間は、ぼくには決して見せない優しい顔つきで電話に嚙り付くのである。血が繋がっているということであろう。
母さんはあと何年生きるのだろう。
ぼくと息子はあと何回、母さんに会えるだろう。
百歳まで生きてほしい、とは思うけど、分からない。
人間というのは持ちつ持たれつだなぁと思う。
順番があって、支え合って生きて行くのだ、と思う。
母さんはどういう最期を迎えるのだろう。
その時、ぼくらはどこでどういう風に生きているのだろう。
母さんはぼくからの電話をずっと待っているのだろう。
来年の誕生日、絶対に忘れるわけにはいかないということである。
なぜなら、電話機を見つめて待っているのだから…。
「パパ」
息子が戻ってきた。
「どうだった?」
「うん、よかったよ」
この子はいつも、うん、よかった、しか言わない。でも、それがいいのだと思う。相変わらずだったということが長生きの秘訣かもしれない。息子が携帯を差し出した。受け取ると、手渡された携帯が温かかった。ぼくは母の手を握った気持ちになった。