JINSEI STORIES
退屈日記「コロナ時代の発想の転換。ZOOM演劇に未来はある」 Posted on 2020/06/14 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、コロナが広まって飲食業をやっている友人たちの中には、店を閉めたり、経営が難しくなった会社が多く出た。ロックダウンの最中、一緒にどうやったらいいのか、を議論し続けてきた。しかし、なかなか上手に発想を転換して現在まで築き上げた経営方法をアフターコロナの世界にそのまま役立てることのできる宇宙的発想を見つけ出すのは容易じゃなさそうだ。デリバリーレストランなどをやるのも手だけとそれが恒久的な解決につながるとも思えない。たとえばぼくの場合だけど小説はもともと出版界が低迷していたので、本が売れない時代が長く続いていたことも幸いして、人々が家から出なくなったので読書へ向かう可能性が出てきた。電子書籍などは伸びているらしい。ぼくは電子書籍をまだ許可していないので、ぼくに関して言えば昔ながらの原稿依頼とか出版化だけでやっている。音楽はライブハウスからの無観客配信というのが話題になっているけれど、オンラインでの音楽における臨場感に関してちょっと疑問符を持っていたところに、演劇からZOOMを使った舞台化の話しがいくつか舞い込んだ。これも半信半疑だったのだけど、昨日、上演された拙著「ピアニシモ」の演劇版を生で視聴し(稽古にも付き合った)、実は想像以上の可能性を感じてしまった。コロナ時代をこういう発想の転換で乗り越えていくことが出来る、と気づけただけで大きな収穫であった。しかも興行的にも1000席ほどが一瞬で完売している。(最大で1万人規模の集客が可能、動員に応じて使用料が異なる)
まず、メリットから考えると、在宅で役者たちが芝居をしているので、単純に稽古場代、移動費、などがかからない。12時から稽古、となれば、前後の移動に要する時間が、精神集中などにあてられる。ぼくは稽古にオブザーバー的に数回付き合ったけど、対面ではない違和感はあるものの、今までにない緊張感(つねにアップ!)があって、面白かった。
会場費もかからない。役者たちの家のどこかがステージになり、ライティングなどは各自のセンスに委ねられているのでそこは今後工夫が必要になるかもしれないが、役者が自宅で演じているのを生で見るというのも、時代的で面白かった。主役の村井良大とか結構大声を張り上げるシーンが続いたので、深夜23時からの上演で、ご近所さんからクレームは来なかったのか、と心配になった。そういう問題もあるけれど、日常という場所で非日常行為が見学できるという副次的な効果もあった。それが、物語とリンクして、リアリティを生み出している。原作の「ピアニシモ」はぼくの処女作で日本のいじめをテーマにした、1980年代の物語で、つまり30年も前の話し、小道具として伝言ダイヤルを使った。それが今作ではラインとマッチングアプリに変更になっていて、そのまま現代にぴったりと重なっており、時代は何も変わってないことまで教えられることになった。
演出家の元吉庸泰の演出は迫力があった。上演時間は一時間だったけれど、凝縮されていて、物凄い速度感で、畳みかけるように物語を起動させては小爆発を起こさせ、ZOOMという装置の利点を最大限活用し、あの作品を描いた20世紀的時代的空気感がそのまま再現されて、むしろZOOMだからこそ出来るとっても実験的な演劇を見せられて、思わず、見終わった後、やられた、と思ってしまった。自分の原作なので、厳しい目で見がちなのだけど、原作を提供していつも残る作品との乖離はなく、不満が珍しく出ないのは演出家の力、そして、若い役者たちの技術力の高さであろうと思った。ZOOMでの芝居はテレビとも劇場とも違うやり難さを持ってきているはずだが、緩急、瞬発力、情感のこめ方、など、実に現代的に昇華されていた。
デメリットとしてはZOOMがまだ演劇に特化された機能を獲得していない点、生演奏と芝居とをつなぐ、機械的な時差、雑音、音の微妙なずれなど、改善すべきことがあった。音楽と俳優の演技とのバランスに何度か、不満を持った。音声さんがいないので、当然のことだろう。照明の代わりにテレビ的スイッチングが重要な役割を与えていた。ZOOM機能で面白いのは、役者の「出ハケ」が役者自身の操作で、出来る点である。不意に役者が消え、不意に現れるのは、舞台と同じく役者本人が操作をしているのだ。
23時からの上演理由を聞くと、社会人が一通りの用事を済ませリラックスして観ることが出来る時間帯であること、そして、企業がZOOMを使う率が少ない時間帯なので影響を受けにくい、とのことだった。なるほど、ZOOMの使用率が高くなると、なんらかの問題が生じやすくなるデメリットがあることも、分かった。この辺は改善されるか、演劇などに特化したZOOMに変わるものが登場するのを待つしかない。けれども、演劇の役者たちがテレビドラマなどとはまるで違うど迫力で、生で、家庭に直結で演劇を持ち込んだ可能性には瞠目した。この手があったか、と観終わった後ぼくはこの取り組みに対して思わず拍手をしていた。しっかりとした演出力、鍛え抜かれた演技力、そして時代性という三つの柱が揃っての成功であったと思う。チケットが完売をしたので、次の土曜日に、再演が決定した。詳しい情報を持たないので、観劇されたい方は#電脳ピアニシモ、で検索をしていただきたい。舞台化も検討が始まっているようなので、そっちも愉しみだ。ZOOMと実際の劇場との差も今後楽しめることになるだろう。おっとどっこい演劇人は死んでなかった、と思わせる事件でもあった。この発想の転換がコロナ時代を生き抜くヒントになる。
追記。鬼気迫る村井君の演技のほか、米原幸佑君のヒカル、目が離せなかった。サキ役の小泉萌香君、原作にもっとも近い!祁答院雄貴君、煉瓦で殴られてるところ心配になった。若宮亮君、悪役もさわやかだった。小野川晶君、演技の幅が広く縦横無尽。板倉光隆君、けん引役、まとめ役で要だったね。音楽、吉田君、見事に芝居に入り込んでいた。ライン音と笛がツボだった。