JINSEI STORIES
滞仏日記「今日はいろんな意味で歴史的な日になった」 Posted on 2020/05/31 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、小説を書いていたら、息子が帰って来た。クラスメイトのイヴァンも一緒だった。
「ちょっと、10分だけ、イヴァンとテレビ見ていい?」
ロックダウン解除以降、友人を連れてくるのは一応禁止としていたが、イヴァンは現在息子の一番の親友だし、マスクもつけていたので、許可することにした。
「パパも一緒に観ない?」
「何を?」
「ファルコン9だよ」
あ、今日だったか。ということで、3人でテレビの前に陣取り、NASAからの生中継を見ることになった。
9年ぶりのアメリカの有人ロケットの打ち上げだそうで、スペースシャトル計画の終了後、そんなに宇宙に出ていなかったのか、と思わず歴史を振り返ってしまった。しかも、今回は民間の宇宙開発企業スペースXによる打ち上げ。「9年ぶり」、「民間」、ということで注目されている。設立からわずかに18年のスペースX社によるファルコン9の打ち上げ成功には様々な意味が含まれている。昨日はミネアポリスで警官による無慈悲な黒人拘束殺害事件からの大暴動が起きた。今日はNASAから民間初の有人ロケットが宇宙へと飛んだ。対照的な光景であった。
ぼくが9歳の時、1969年のことだが、母さんに、
「ヒトナリ、早く、テレビの前に座って、見てごらん。人類が月面に降り立つんだよ」
と腕を掴まれた。ぼくは遊びに行こうとしていたのに、強制的にテレビの前に座らされてしまったのだ。
意味も分からず見せられた映像は、アポロ11号から宇宙飛行士が月面に降り立つ、まさに歴史的な生放送であった。ぼくの目の前で、船長のニール・アームストロングと操縦士エドウィン・オルドリンが月面に降り立ったのだ。いまだにそのモノクロの映像が生々しく記憶に焼き付き残っている。その数年前、こちらは記憶にないが、1963年、20万人の人々が人種差別に反対して「ワシントン大行進」を行った。そのイベントの最後に、マーティン・ルーサー・キング牧師が「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子たちと、かつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくようになることである」と語ったのだ。こちらも歴史的なメッセージとなった。しかし、半世紀がたっても、暴動は続いているし、ロケットが宇宙を目指しているのだから、何が進歩を遂げたというのであろう。
それから50年以上が過ぎた現代、2020年のこの世界でもまだ、人種差別に抗議する暴動と人類の夢を載せた宇宙飛行が同時期で起きているというのは、あまりに偶然であり、あまりに奇妙ではないか。イーロン・マスクの挑戦は素晴らしいが、殺されたジョージ・フロンドの名前をぼくは心に刻み続けたい。
9歳だったぼくは母親に人類が月目に降り立つ瞬間を見るようにと言われたし、60歳になったぼくは息子に民間人が初めて宇宙に飛び立つ映像を一緒に観ようと誘われた。母はまだ生きていて、息子は16年前にどこからかやって来た。その間、何が進歩し、何が変わらないというのだ。思わず苦笑が零れてしまう。50年後も或いはあまり変わらない世界がこの星の上にはあるのかもしれない。
「どう思った?」
ぼくは子供たちに訊いてみた。
「うん、凄いと思った。民間人でも夢を持ち続ければ宇宙に行けるのだということが証明されたんだから」とイヴァンが言った。
「でも、同時に、世界はコロナのせいで、苦しんでいる。ぼくらは宇宙どころか、パリから外に出ることさえ出来ない。これはとっても皮肉なことだね」と息子が言った。
「君たちはどうしたい? 君たちがぼくの年齢になる頃までにこの世界はどうなっていると思う?」
「楽観的にはなれませんよ。地球温暖化や人種問題、宗教対立、経済の格差、問題が多すぎる」とイヴァンが言った。
「でも、悲観的になって諦めるのもよくない。人間には悪い面といい面がある。いい面はのばし、悪い面は考えて知恵を絞っていくしかないね」と息子が言った。
「期待しているよ」
ぼくはちょっと安心をした。この子たちは浮き足立っていなかった。黒人を殺す警官もいるし、力を合わせて宇宙を目指す人たちもいる。そのあいだにある、今日は、とっても象徴的な一日であった。