JINSEI STORIES

滞仏日記「人生に飽きないためにぼくが心がけている一つのこと」 Posted on 2020/05/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、日記に書けないこともある。というのか、今はまだ書かない方がいいな、と思うこととか、生きているのだから、毎日、何かが起きているわけで…。その中から何か一つを選んで日記にしているのだけど、その一つが選べない日もある。たとえば、それが今日だ。

なぜかというと、ぼくはもう一方でずっと小説を書き続けていて、本当は小説家が本職なのだから、それに割く時間の方が圧倒的に多いわけだ。でも、そんなことを日記で書いても、日記の読者が喜んでくれるだろうか? 小説の読者から小説を読む時の喜びを奪うことになるから、そこの部分はあまり書けない。



でも、コロナ危機がはじまって、ますます、書くことの意味を感じているのも事実で、もうすぐ長編小説がまた一つ書き終わろうとしている。舞台はパリだけど、2019年の秋から2020年の秋まで、それは、ぼくの日常をなぞるような物語で、ここに来て、日常がいきなりドライブしはじめ、筆も、負けずに加速している状態だ。でも、あくまで生活が中心なので、子育てとか家事の合間に、最大限の時間を見つけては自分を律するように書いている。

日記の方は、毎日考えていることを徒然なるままに書いているわけだが、これはこれで一つの作品のようになっており、仕事というよりもミッションみたいな感じになってきた。位置づけが難しいけど、エッセイでもないし、小説でももちろんないし、日記文学というジャンルもあることにはあるので、そういう類のものかもしれない。気が付くとデザインストーリーズに毎日、4、5千字くらいの日々を書いている。事実に即しており、ぼくが暮らすパリのこの地区の住人たちがそのまま(実名で)総出演していて、それに加え、リサやロベルトなどの古くからの友人、ウイリアムやイヴァンなど息子のクラスメイト、ニコラやマノンなど近所の子供たちまで、もうお馴染み過ぎて、書きながら楽しくなって笑いがおさまらない。おっと、忘れていた、もちろん、息子も、この作品の重要な登場人物なのだ。しかし、現実の彼らとこの日記に登場する彼らは一緒でありながら、ぼくのフィルターを通すので、物語の一員みたいな役割を担っている。今日も、アドリアン、ロマン、ピエールと街角ですれ違った。まるで映画の主演俳優たちに会ったようなミーハーな感情が沸き起こる。人間が好きなんだと思う。人間を恐れながら…。



でも、どこの街にもきっと彼らはいるのだ。ブルックリンにも、ケンジントンにも、大阪にも、香港にも、ベルリンにも…。ぼくはきっと街角を描きたいのだ。街角を書きたいのだ。そこに、人々の暮らしがあり、人々の生き様がある。右派の人もいるし、左派の人もいる。宗教のある人ない人もいる。貧しい人もお金持ちもいる。黒人も白人も黄色人種もいる。愛を毛嫌いしている人もいるし、愛を探している人もいる。ハッピーな人もそうじゃない人もいる。その中にぼくもいる。

そして、もうすぐ新しい小説が書きあがる。きっと、今の自分にしか書けない主題を持っているし、意味を持っていると思う。最初はそこまで本気じゃなかったし、何度も破って捨てようか、と悩んだ。確信はあるのに、中心が見つからなかった。実際、データを消そうとしたこともある。去年の秋には一月くらい放置した時期があった。日記の方が面白くて、現実逃避するような感じで日記に逃げていた。でも、年が明けて、世界に奇妙な現実が持ち上がると、最近、そうだな、ちょうど、パリがロックダウンされた頃から、日記より小説に急にのめり込みはじめて、作品がアクチュエルモン(今)と同期してからは、これは今までの小説とは全然違うんだ、と気が付いてしまった。作家として、残せる今をここに刻みたい、と思って毎日、ぼくは行間を泳いでいる。

滞仏日記「人生に飽きないためにぼくが心がけている一つのこと」

自分流×帝京大学