JINSEI STORIES

フランスごはん日記「窓をあけ、穏やかなノルマンディの海を眺めながら」 Posted on 2024/12/12   

某月某日、今日はずっと海を見ていた。
ノルマンディの曇り空を眺めながら、油絵を何枚か描いた。(何枚か、というのは、スケッチのような、ラフな下書きのようなもの、完成には程遠いもの)
空と海の境目のあまりはっきりとしないあたりを眺めているのが落ち着くのだった。
いや、正確には、もわもわ、落ち着かないのだけれど、でも、海と空の境目って、色が混ざり合って、感情が漂流しているような不思議なニュアンスがあり、そこを凝視して、カンバスに色を叩いていると、とんとんとん、心をタップされているような感じになる。
ドレミファソラシドのような音階がきれいに分かれていることを、「平均律」というのだけれど、そういう絵を描いたのだった。
自分の世界に閉じこもるのに、絵を描く行為は悪くない。
何をしていいのか、あまりよくわからない時に、絵を描くと、好きな世界が生まれる。
そういう気分の時、小説は気が進まないのだけれど、絵は、心を無にしてくれる。
空と海の境目は、今日の気分にちょうどいい。
窓をあけ、目の前に広がる英仏海峡のあいまいな境界線を睨みつけ、そこから喚起されるイメージを白いカンバスに好きなだけ、広げてみた。
絵は無になる、と描いたが、寝ている時に夢を見るような感じで勝手に脳が動いて、隠している感情を表に出そうとしてくることもある。
そういう時に絵筆が止まって、しばらく、塗りたくられた油絵の上で、過去とかが、錯そうするのだった。

フランスごはん日記「窓をあけ、穏やかなノルマンディの海を眺めながら」

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何か食べなきゃ、と思うのだけれど、今日は料理をする気分にならないので、午後、村のレストランまで食べに出かけた。
ノルマンディは海と山に挟まれた地域で、両方を味わうことが出来る。
でも、今日はサーディンのグリルを選んだ。
塩とレモンだけ。
べちゃべちゃのご飯が付いているプレートだ。
醤油を持ってくるのを忘れてしまった。
日本のいわしとフランスのサーディンは同じ仲間だが、たぶん、ぜんぜん異なる。
日本だって、マイワシ、とか、カタクチイワシ、とか、いろいろな種類があるように、欧州のサーディンもいろいろ。
フランス人もサーディンが大好きで、とくに、大きなものがこのノルマンディ周辺で、とれる。
ブルターニュ産のサーディンは大きく、塩焼きに向いている。
パリ在住の日本人シェフ仲間たちも、わざわざ、この辺までやってきて、イワシのグリルを食べている。ま、実はこの辺、名産地なのである。
日本のいわしの方が苦みが強いかな~。
サーディンは食べやすいかもしれない。
日本でも、ポルトガルやフランスのサーディンの缶詰が売っているが、おすすめ食べ方は、バターを塗ったバゲットの上にサーディンを一尾置いて、唐辛子とか塩の華などをちょっとふって、齧ると、最高に美味しいのだ。
サーディンは、あっさり食べることが出来る。
グリルにしたものは、醤油との相性が抜群なのだけれど、残念なことに、ぼうっとし過ぎて、醤油、忘れた。あはは。
おっと。4尾も一皿に入っているので、食べきれない。
しょうがないので、レモンをたっぷりとかけて、白ワインで胃に、流し込んだ。

フランスごはん日記「窓をあけ、穏やかなノルマンディの海を眺めながら」

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寒かったが、夜は窓をあけ、浜辺を見て過ごした。
12月のノルマンディは寒い。
人っ子一人歩いていない。
白波が、綺麗であった。
寄せては返す波の、四重奏のごとき音を聞きながら、心の平均律を保った。

それでも人生はつづく。

フランスごはん日記「窓をあけ、穏やかなノルマンディの海を眺めながら」

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