JINSEI STORIES
退屈日記「出来る範囲で大好きな飲食店を応援することやろうよ」 Posted on 2020/05/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日、料理雑誌dancyuの植野編集長からお願いのメールが届いた。「ぼくら食いしん坊が美味しいものを食べられるのは飲食店の皆さんが頑張ってくださってるからこそ、なのに、このコロナ禍で皆さん物凄く大変なんすよ。だから、今こそ、何かしたいんすよ、そこで『ありがとう袋』というのを作りたいんすよ」というちょっとわけのわからないものだったので、とりあえず電話をすることにした。この人、めっちゃ熱血な編集者で情熱大陸なんかでも特集されたほどの料理好き。植野さん、若い頃からdancyuの編集長になるのが夢だったのだとか。そして、紆余曲折がありながらもそれを実現した人なのだ。とにかく、美味いものに目がなく、美味しいものを作ることに命をかけている変わったおじさんなのである。彼が趣味でやっていた植野食堂でぼくも一時期腕を振るったことがある。「コロナ禍で飲食業界が大変なので、なんか応援したいんすよ」という連絡だったので、まどろっこしいから直接電話をしてみることにした。ちなみに、植野さん24時間体制でいつも連絡が通じる。ぼくも締め切りに遅れたことがないけど、この人は連絡がつかなかったことがない。頭の下がる編集長で、メール書いても2分で返事が来る。編集長なのに、ずっとぼくの担当をやってくれている。一緒にフライパンも回す。
「いったい飲食店をどうやって応援するんすか」
と電話で訊いてみた。
「辻さん、フランスのレストランとかカフェってお客さんが気に入ったらチップ置くじゃないすか? コロナで大変な今だからこそ、行きつけのお店とかなんらか応援したいじゃないすか?でも、日本人恥ずかしがり屋だし、チップですよって、置けないじゃないすか?だから、ありがとう袋作ってね、そこにメッセージも書けるようにして、お年玉袋みたいなものですけど、100円でも千円でも、お気持の金額を包んで、でも、要はお金じゃなく、気持ちを届けるんすよ。気持ち、手伝ってもらえないっすか?」
ぼくは嬉しかった。ぼくも料理が大好きだし、大勢の仲間たちが飲食業界で頑張っている。しかし、今回のコロナ禍で潰れた仲間の店もあるのだ。悔しかった。しかし、植野さんのアイデアは励ましを届けることが出来るし、堂々と心づけを残していける、グッドアイデアなのである。
欧州はチップをおくという習慣がある。もちろん、気に入ったギャルソンとかシェフに対してで、そもそもほとんどのレストランの料金にはサーヴィス料が含まれているのだから、無理して置かなくてもいい。しかも消費税が20%もついてくるのだ。高すぎる。しかし、多くの人がそれを知っていながらも、ちょっとチップを置いていく。まさに心づけだ。日本にはチップの風習がないけど、あってもいいのにな、とずっと思っていた。
大昔、まだ父が生きていた頃、家族で温泉に行くと、帰りに袋にお札を入れて、テーブルに置いていた。なに、と訊くと、仲居さんたちへの感謝の気持ちなんだよ、心のある満足をさせて貰った時にパパは置くんだ、これを心づけという、と教えられた。いいアイデアだな、と思った。最初に渡すのが一般的らしいが、父は、最後にこっそりと渡すんだ、と言い張っていた。でも、フランス人のようになかなか裸銭をテーブルに残せない。失礼な感じがするからだ。そこで熱血男、植野広生は考えた。ありがとう袋だ、素晴らしい。
「いいじゃないすか? 手伝います。何をすればいいの?」
「宣伝普及につとめてください。ありがとうっす」
日本に戻るたび、全国各地の行きつけのレストランのお店の方々の笑顔を思い出した。自分たちに出来ることをできる範囲でやるのにこの「ありがとう袋」は便利だ。植野編集長、きっと多くの人がこの運動に賛同してくれるはずですよ。
「そうっすか?」
「そうっす、そうっす」