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フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」 Posted on 2024/11/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は暮れなずむ田舎の夕景を眺めながら、小説を書き始めてみた。
絵ばかり書いていたので、小説の書き方というものをすっかり忘れていた。
絵も描いたら、描き方を毎回忘れるのだが、小説も同じなのだ。
でも、同じような作品を書いてもしょうがないので、いつも、新しい世界を探して、人々を眺めるのだった。
ぼくは、とくに取材というものをやらないで、小説も絵も描く。
だいたい、ヒントは頭の中にあるし、物語はの脳細胞がうまく作ってくれるのだけれど、ただ、気分を変えると、やはり、何かが生まれやすいので、よく、旅に出る。
ノスタルジーを刺激するというわけじゃない。
でも、記憶にはない記憶、というものを風景が刺激して、そこから、自分ではない誰かの人生が、滲み出してくるのだから、不思議だねー。
作家というのは、実に不思議な生き物だし、それを職業によく、今日までやってこられたのだ。
ま、楽しかったよ。あはは。

今日は、ノルマンディの浜辺を歩いて、沈む夕陽を眺めながら、物語を紡いだ。
砂に足をとられた、つぎの瞬間、昔、ちょっと親しくなったフランス人女性のことを思い出した。
もう、連絡方法もわからない。
ヴィオレンティーナという美しい名前の、名前に負けないくらい雰囲気のある人だったが、何度か、食事をしたり、一緒にイベントに行ったことがあった。
恋愛関係にはならなかったが、同じような哲学を持つ人物であった。
そのイベントは仮装イベントで、ハロウインの巨大なパーティのようなものだった。
ぼくは何に仮装したのか、覚えていないが、ヴィオレンティーナが衣装を貸してくれた。ヴィオレンティーナはナイトに扮していた。
ところで、ヴィオレンティーナは「もう長くない」と言うのが口癖であった。
「なにが?」
と訊いても、俯いて暗い顔をしてみせるだけだった。
そして、ある日、ほんとうに、みんなの前から、姿をくらましたのだ。
ちょうど、コロナ禍の直前のことだった。
メールを送っても、不明、と戻って来る。
一度、ヴィオレンティーナの友人のカティアというトランスジェンダーの子からメールがあり、
「彼女は一度死に、それから生まれ変わって、ヴァンパイアになったもしれない」
と、印されてあった。
ヴァンパイアか、ありえるな、と思った。
フランス語では、ヴァンピール、と発音する。
彼女は生前、あなたの血が飲みたい、と言ったことがあったのだ。
そして、奇妙なことに、その後、ヴィオレンティーナとかかわっていた全員と音信不通になった。(さらに、今はもう、カティアとも、連絡がとれない)
ぼくはヴィオレンティーナと二人で話し合った日の記憶を頼りに、新しい物語を書こうとしているようだ。たぶん・・・。

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」

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物語をどうやって、生み出すのか、ぼくにはわからない。
でも、ある瞬間に、何かが接続するような感じで、物語というものが、頭の中に立ち現れるのである。
ヴィオレンティーナとはもう会えない気がするのだけれど、彼女の影がぼくの中でたゆたっていて、そこが入り口となり、物語が生まれてくる・・・。
思いが付く、というが、まさに、何かがくっついて、そこから生まれてくる感じ。
小説はいつも、そうやって、出来上がってゆく。
だから、出来れば知り合いのいない街に行き、その角にあるカフェのテラス席とかに座って、目の前を歩いていく人々を見たりする、・・・頭の中の何かを刺激するために。
そうすると、数学の計算式のようなものが、頭の中で明滅する。
脳の奥に、小路があって、その先をじっと見ていると、物語が動き出すのである。
これを、不思議、と片づけてはいけない。
ぼくはそれが仕事なので、たぶん、物語を紡ぐ天命があるのだ、と信じている。
実は、個展などに並べる絵も、長い物語が頭の中にはあって、一枚一枚が、その一場面、一場面だったりする。なので、ぼくの絵は、抽象画ではない。
意図がしっかりとあるので、どっちかと言えば小説に近い。
ノルマンディの田舎路を歩き、同時に頭の中では、かくかくと歯車が動きだしている、ということなのである。

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」

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歩いていたら、小さなカフェがあったので、迷わず、入った。
「こんばんは」
と老いたギャルソンに言われた。
「ひとり?」
そうです、と言うと、奥の窓際の席を指さされた。三四郎がテーブルの下で丸くなる。彼も歩き疲れたのだ。
白ワインと生ガキを注文した。
この時期のこの地方の牡蠣はとっても白ワインとあう。
牡蠣の柱をナイフでカットし、ヴィネガーを小さじ1杯分注いで、海のエキスと一緒に胃袋に流し込むのだ。
それからすぐに、白を口に含むと、鉄分とか、ヨウドとか、海の香りとか、いろいろなものが、口の中で、複雑にからまりはじめる。
その時、ヴィオレンティーナはなんと言った?
「ねー、ツジ。あなたは小説家なんでしょ? じゃあ、わたしの未来をいつか書いてみてくれない」
ぼくはなんと返した?
「いいよ。書いてみようか」
青とも茶色ともいえない、不思議な目の色をしていた。
「どんな未来が待ち受けているの?」
ぼくは一瞬、こたえに窮した。
「そうだね、どんなかな」
というのも、あまり明るい未来が見えなかったからだ。ただ、それは色でたとえると、太陽が海の向こうに完全に沈み切った後、しばらくして、空がオレンジ色なのに、雲が黒く落ち込んでいくのがわかる、ような、そう、そういう未来なのだった。
あの日、ぼくらは、浜辺を一緒に歩いた。
あれは、記憶の悪戯だったのか。

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ぼくの人生は一度しかないのですが、ぼくは登場人物の数だけ、生きてきたように思います。今、描いている絵も、その記憶の残滓のようなものかもしれないですね。物語は、時計の針が止まらないのと一緒で、ずっと動き続けています。ヴィオレンティーナはぼくのイメージボードの上で、まだ生きているような気がします。

フランスごはん日記「美しい夕陽を眺めながら生牡蠣と白ワイン、そして美しかったあの人の記憶を辿る」

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