JINSEI STORIES
滞仏日記「日本らしさは孤独である。哲学者アドリアン、かく語りき」 Posted on 2020/05/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリが解放されたので、うろちょろしていたら、出会い頭にアドリアンとばったり出くわした。ぼくを見つけるなり、笑顔を浮かべ、ここであったが百年目みたいな顔をした。手を振り上げ、よお、エクリヴァン(作家)、と大げさに言った。ぼくは急いでいたので、やあ、フィロゾフ(哲学者)と呟き、行こうとしたら、通せんぼされ、
「マスク、マスク、マスク!見て見ろよ、日本の作家よ、このフランス人の体たらく」
と吐き捨てた。2ケ月に及んだロックダウンが解除されたのだ、しかも、快晴が続いている。人々が外を歩き回りたくなるのは普通のことだった。しかし、たしかに7割から8割の人がマスクをつけていた。
「フランス人は歴史的にも集う文化だった。握手なんて生ぬるい、ビズ(頬と頬をくっつける挨拶)にはじまり、ハグで友情を深め、フレンチキスなんてものまで発明した。どこまでも接触したがる国民性だ。日本人はお辞儀だろ?」
哲学者は笑いながら、両手を腰にあてて深々とお辞儀をしてみせた。やれやれ、また長い話しになりそうだ。
「僅か、2ヶ月でフランス人は誇り高き自由の気風を捨てて、マスクをして、人を遠ざけ、こそこそ生きるようになった。マスクやフェースシールドは個人的なロックダウンの道具だ。一時流行ったグローバリゼーションとかインターナショナリゼーションに対抗するシンボルだ。元来、フランス人はマスクをするような民族じゃなかった。気風があわない。そもそもフレンチ・キスが出来ないじゃないか。日本人はマスクにSAKOKU(鎖国)の精神を重ねているんだろ? 違うのか?」
極論が飛び出し、ぼくは噴き出してしまった。彼はSAKOKUと発音してみせた。
「日本人は孤独に慣れている。孤独を愛している。孤独をリスペクトしている。世界中が笑っても、日本人はマスクをし続けた。何年も前から、ずっと昔から、日本人観光客はパリ市内を観光する時でさえマスクを離さなかった。俺たちは笑いのネタにしていたが、お前らが正しかった。慌ててフランス人はマスクを付けた。見て見ろ、つけ方がなってない。隙間だらけ、鼻を隠さず、何日も使い続け、裏も表も間違えて、ウイルスが付着した表面を次の日には口側にくっつけている。中には飛行機で配られるアイマスクをしてるやつまでいる。日本人はマスクを文化にした。なぜかというと、日本人は集団社会の中にありながら、孤独を守ってきた。マスクがその証拠だ。一人ロックダウンをずっとやって来た。ハグもビズも握手さえしない。お辞儀だ。社会的距離をしっかりとって、頭を下げる。ソーシャルディスタンスなんてものを誰からも教わらないで日本人は1000年以上、もっと前から、孤独の美学に基づく対人関係を構築してきた。わび、さび、茶室だ。飛沫感染をしない仕組みが元々あったわけだ、すごいことじゃないか。心を簡単に許さない礼儀だ。簡単に許さないが、相手にリスペクトを持っている。マスクがその証拠だ。日本人は自分の唾を相手に飛ばさないためにもマスクをするというじゃないか。孤独の極みであり、高いところで完成された文化なんだ。このことをフランス人は知らない。ただ、防衛のためにマスクを使ってる。それじゃ、感染は防げない。長い時間をかけて、自衛の精神を学んだ日本人だからこそ、感染爆発を防ぐことができているのかもしれない。日本政府が優秀なんじゃない、日本の歴史と国民が凄いんだよ」
鎖国という単語は新鮮だったけど、ぼくはちょっと唐突な意見にしか聞こえなかった。でも、アドリアンらしい皮肉たっぷりの意見でもある。
「アドリアン、そこまで褒めて貰えてうれしいけど、そこまで考える必要があるのか? 別に、マスクくらいすりゃいいじゃないか? 君もした方がいい。君がマスクをした姿を一度も見たことがない。見て見ろ、君こそ、君の8割近くの仲間たちがこうやって慌ててマスクをしているというのに、若くもない君がしないのは危険だ。なんなら、日本のマスクをやろうか? もっともこれは中国製だけど」
ぼくが鞄からビニールに入ったマスクを取り出したが、もちろん、受け取らなかった。鼻で笑われてしまった。
「この世界にマスクを広めたのは日本人だ。世界中が知っている。お前たちは誇るべきだ。お前らの勝利だ。日本をリスペクトするよ。孤独を知っているからこそ、マスクを受け入れることが出来た。孤独の意味さえ知らないフランス人にマスクは似合わない。だから、俺はしないんだよ。わかるか、日本の作家よ。俺にはフランス人としての誇りというものがある」
「なんとなく、分かるよ。君がマスクをしているのを目撃したら、地球は終わるかもしれないね。ぼくはマスクをすると落ち着くんだ。君の言う通り、自分を保つことが出来るからかな。自分の吐き出す息を感じる。バリアーの中にいるような安心感はある。マスクはある種の信仰かもしれない。心地よい湿度がある。PM2.5も花粉も恐れないでいいし、満員電車の中でも自分の世界にいられる。マスクがないと不安かもしれない。それが日本人だ」
アドリアンが微笑んだ。その通りだ。
「日本は島国だし、アジアの外れにあるし、世界が沈没しかけても、農業を再建して、新しい鎖国をやったら、生き残れるんじゃないか? 俺が今日、お前に言いたかったことだ。世界がグローバル化し過ぎたことがこの時代の不幸を招いた。孤独を愛する者が生き残れる世界がそこにある。俺はこういう言い方しかできないが、日本は外の世界が勝手に押し付けてくるイメージに振り回されることなく、今は、第2鎖国時代に向かうべきだ。それも一つの手だよ。中国やアメリカとは距離をとること。農業を他国に任せちゃだめだ。懸命な経営者はこれから農業を始めるべきだ。飲食業が苦しければ、農業にシフトしたらいい。必ず必要とされる。食料の自給率さえ上げられれば、精神的SAKOKUは出来る。製造業も自分の国に取り戻せ。中国製のマスクじゃなく、これからは日本製のマスクを再び世界に販売する方がいい。多少貧しくなっても日本らしさは残る」
そこにピエールが通りかかった。彼は写真家なのだ。小型カメラを取り出し、笑顔で、ぼくらに向けた。ぼくとアドリアンは社会的距離をとって語り合っていたが、ピエールが、一秒くらいくっついても逮捕されないだろ、と指先で合図を送った。アドリアンが社会的距離を破って、ぼくの世界に侵入してきた。ピエールがすかさず、シャッターを押した。この一枚はやばいな、と笑いながら、言った。